セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

日本がウォーターフォールを脱却できないのは予算取りのせい

simplearchitect.hatenablog.com

なんか、SIっぽい話題が多いですね。

アジャイルの時にも書きましたが、日本でユーザー企業が、SI案件を発注するまでの間には、「予算取り」という工程が欠かせません。

元記事では、主に開発者サイドにフォーカスしてウォーターフォールとアジャイルについて語られていますが、ウォーターフォールが何故なくならないのか説明できないと思います。

システム開発の最上流工程「予算取り」

よく「試合の勝敗は、始まる前に8割決まっている」などと言いますが、SI案件の場合は、始まる前にウォーターフォールであることが、100%決まっています(そして、敗北も9割方決まっています)。

それはなぜかというと、「予算取り」という工程があるからです。

古き良き日本の大会社では、IT予算というのは、年間を通じでだいたい決まっています。

そのため、システム開発を発注するためには、まず「来期予算」を取らなければなりません。

IT部門の人々はサラリーマンですので、自発的に新システムを導入したいわけではないのですが、経営的な判断や現場の声を反映させて、来期に幾らぐらい掛けてシステムを開発するのか、予算計画を組みます。

目的は経営者を納得させる事

その際に、経営者を納得させて決裁を貰わないといけないので、出来る限り具体的かつ微細に費用見積もりをしなければなりません。

この際に、計画だけはうまく作れる「ウォーターフォール」が、重宝がられるわけです。

www.agilemanifesto.org

アジャイルソフトウェア開発宣言を貼りますが、「計画に従うことよりも変化への対応を」なんて謳っている開発方式が受け入れられるはずがないのです。

社長にどう説明するのですか?

「予算は、概算で3億円と見積もりますが、やってみないとわかりません。『計画に従うことよりも変化への対応』が必要だからです」

なんて言おうものなら、けちょんけちょんに叱責され、無能の烙印を押され、社史整理室への転属は免れないでしょう。

日本のシステム開発を変えるには、ここを何とかする必要があります。

良くも悪くも、ウォーターフォールは、原理がわかりやすいです。

頭の硬い経営層にも簡単に説明できてしまいます。

そのため、企業の予算取りでは、未だにウォーターフォール以外の選択肢はほぼありません。

アジャイルは、直感に反するため、幾ら正しく機能する方法論だとしても受け入れられないのです。

アメリカでは、システムをスクラッチで開発するよりもパッケージ導入がメインだと聞きました。

また、スクラッチするにしてもエンジニアを自社で抱えて内製するのが普通だという文化的な背景があって、アジャイルの導入が普及しているのだと思います。

そして、エンジニアを抱えてシステムを内製できるのは、雇用と解雇のハードルが日本よりも低く、必要なときに増員しやすいからという背景が、さらにその後ろに隠れています。

日本では、正社員として増員したエンジニアをおいそれとは首にできないので、システムを内製するにしても限界があります。

それでも、新興企業たちは、自社のコアとなるシステムを内製しながら、小規模で効率のよい開発チームを作っていると思いますので、今後はそういった勢力によって、ウォーターフォールも駆逐されていくのだと思います(という希望的観測)。

何にせよ、ウォーターフォールという名前の開発手法が炎上案件を次々と生み出しているのは、皮肉以外の何物でもないですね。