セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

東京の会社を退職して山形に移住することにしました

9月いっぱいで所属していた会社を退社し、山形に移住することにしました。

僕は、40歳で妻子持ちなので「レールに沿ったつまらない人生はもう嫌だ」とか言う気持ちは毛頭ないのですが、色々思うところがあって、生まれ育った東京を離れ、新天地を目指すことにしました*1

何故山形?

正確には、山形県酒田市になります。

僕には縁もゆかりもない土地なのですが、友人がそこを拠点に事業をやっていて、誘われる形での移住となりました。

他の会社さん(東京)からも引き合いがあったりして、かなり迷ったのですが、幾つかの点で「試す価値あり」と判断して、酒田行きを決断することにしました。

僕の夢

僕の夢は「プログラマーの楽園を作ること」です。

・・・突然こんなこと言ってごめんね。でも本当です。

プログラマーたちが集まって「キャハハ」と笑い合える未来を目指しているのです。

そのためには、まずは「楽園」の定義をしなければならない気がしますが、少なくとも僕の中では、「東京」や「都会」ではなかったのです。

ちょうど、酒田市を中心に日本海岸を日本の西海岸にしようという「日本西海岸計画」という試みをしようとしている人達がいるのですが*2、「西海岸」というワードが「プログラマーの楽園」にイメージにぴったり来るな。と思ってしまいました。

楽園というと「南国」というイメージがあるので、本当は南の方が良いのかもしれませんが、冬場のパウダースノーも日本の魅力の一つですし、魚やコメがうまいので北国でも良いかな?と割り切りました。^^;

そんなわけで、僕はここにプログラマーの楽園を作ります。そして、ゆくゆくは日本の西海岸と呼ばれるような地域にすることに全力を尽くしたいと思います。

プログラミングは大自然の中ですべき

これを読んでいる貴方が、プログラマーであるなら、プログラミングは大自然の中でやるべきです。

間違っても、都会のコンクリートジャングルの中で、窓からろくに景色も見えないような部屋で、プログラミングをしてはいけません。

病みます。

僕は、この仕事をしていて、プログラミングだけじゃないですが、コンピュータを目の前に置いて、色々考え事をしていると、まるで世界には自分と目の前のモニターしか無いんじゃないか?という錯覚に陥ります。

僕1人世界から取り残されてしまって、目の前のモニターだけがリアルで、他のみんなは僕のことなんて忘れてしまって、外に出て楽しいことをして遊んでいるのではないか?という感じがして、1人教室に居残りで宿題をさせられていた小学校時代を思い出します。

やっている仕事が、細かく神経を極限まで尖らせて行う精神活動になりますので、せめて顔を上げれば、広々とした世界が広がっていて欲しいと願って止みません。

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いま、目を上げると一面の田んぼと空、そして鳥海山が見えます。この景色を手に入れるために、自分の人生に大鉈を振るうわけですが、それで良いんだと思います。

まあ、普通はそうは思っていても、色々なしがらみで東京で仕事をすることを選択するのだと思いますが、僕は耐えられなくなって、自然の中で仕事をすることを選んでしまいました。

わがままな父であり、わがままな夫である僕を許してくれ、家族よ(贖罪の言葉)。

都会から地方への人の流れ

イケダハヤト氏が、代表作である「まだ東京で消耗してるの?」というギャグを放ったのが2014年6月のことですので、それから2年が経過している事になります。

それ以前にも、ノマドブームなどもあり、人々はいつだって、リモートでの場所にとらわれないワークスタイルを切望しては失敗してきたわけですが、そろそろ色々な条件が揃いつつある気がします。

東京での自分の生活を振り返ってみると、欲しいものは大体アマゾン(及びその他通販)で手に入りますし、仕事に関しても、GithubやSlackなどコラボレーションツールが発達してきていますので、会社に集まる必要性がそもそも必要ないケースも多くなりました。

ネットワークも、日本の隅々まで光回線が通っていますし、モバイルルータやテザリングを利用すれば、どこでもある程度の速度で通信できる環境が整っています。

自分自身も、酒田と東京の移動中に顧客から修正依頼が入り、修正してpushするというようなスタイル仕事を日常的に行うようになって久しいです。

ソフトウェア開発と同じように、リモートワークに関しても銀の弾丸は無いのだと思います。

ですが、数々の試みやサービスの進化や、ライフスタイルの進化が積み重なって、距離や時間を超えたコミュニケーションが確立していくと信じています。

そして、ワークスタイルの進化に伴い、都市から地方への人の流れも加速していくんじゃないかと思っています。

元々、戦後高度経済成長期に大量に発生した労働者需要があり、それを地方から都会への人の流入によって賄ってきたという経緯がありますが、現在の日本に必要とされている労働力は、物理的な「物」を動かす作業員よりも、コンピュータを介した情報の操作を行う人材が主体となってきています。

これは、都会に拠点を置く先端の企業であればあるほど顕著になり、場所の束縛から離れやすくなるという矛盾をはらんでいます。

そうすると、どこかのタイミングで都市に集中するのではなく、地方に分散したほうが効率的になるという、天秤の重心移動が発生するんじゃないかと予想しています。

いつ起こるのか、起こらないかもしれない未来ですが、僕自身は「地方への流れ」の方へと舵を切ることにしました。

それが正しいことに思えたからです。

エゴ

もう一つ、僕がここにいる理由は、自身のエゴもあります。

というか、そもそもエゴの塊なのですが、「自分たちのサービスで勝負したい」という想いがどうしても強く、既に誰かが成功させたビジネスに乗っかって、更に成功を拡大するためにプログラマーとして働くという選択肢を取ることができなかったという理由です。

現在所属している会社は、以前に初めて独立して会社を立ち上げたときに一緒に事を始めた友人が、地元の酒田に戻り、再びチャレンジを始めた会社です。

最初の会社は、色々うまくいかないこともあって、今は存在していないのですが、もう一度リベンジしたいという気持ちがあり、他の会社で働くという選択肢よりも、その「やり残した」という想いを優先させてしまいました。

これは、良いとか悪いとかいう、理性的な行動からは逆行する、完全な僕のエゴです。

10年前に会社を立ち上げた当時も、今も、「世界を変えたい」という想いが、僕や友人の中に強い行動原理として存在しており、友人は想い余って会社名に「チェンジ・ザ・ワールド」なんて名前を付けてしまいました。

え、それはちょっとやりすぎでは・・・?と、ちょっと引いていますが。^^;

本人曰く、「世界を変える」という想いを忘れないように、毎日繰り返し触れる会社名にそれを付けたとのことでした。

^^;

そんなこんなで、この酒田の地で、ググラビリティの異様に低い名前の会社で、これから頑張ってくぞ!と、思いを新たにする昼下がりなのでした。

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昼休みに会社の近くで(鳥海山の中腹が紅葉しているようです)

*1:これで僕にも故郷が出来ることになります

*2:と言うか、その中心人物が僕を山形に誘ってくれた友人でもあるのですが・・・(^^;