セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

存在の相対性とシュレーディンガーの猫

cat

qtamaki.hatenablog.com

前回に引き続き、マクスウェルの悪魔と熱エントロピーの話です。

前回は、熱エントロピーの増減と情報の関係についてと、情報が一点に集約する未来について書きました。

今回は、世界は何によって構成されており、私たちの存在の本質がどこにあるのかについて書きたいと思います。

量子的な物理現象とはなんなのか

世界の構成を考える上で、今回は量子的な世界における粒子の振る舞いについて考えたいと思います。

前回の記事では、相対的な物理現象が情報の受け渡しを行い、それはエントロピーの減少を伴うという話をしました。

物理現象で最小のものは、量子同士の作用です。

量子の世界は、古典的な物理法則は意味をなさず、波としての状態の重なり合いと、確率でしか把握することの出来ない波の収束によって成り立つ不思議な世界が広がっています。

量子の世界では、観測者と観測対象が個別に存在することはできません。

観測という行為が、必ず観測対象に影響を及ぼし、観測した場合と観測しなかった場合では、まったく違った振る舞いを見せるからです。

私たちが知覚しない場合、波のようにふるまい、波としての証拠を残し、私たちが知覚することで、その姿を粒子に変えるというようなことが平然と起こるのです。

この現象に、前回説明した、熱エントロピーの増減という考え方を当てはめるとどういうことが起こるでしょうか。

熱エントロピーは、「情報」によって一時的に減少させることができます。

そして「情報」とは、突き詰めて考えると「物理現象」と同義であるという結論をだしました。

そして量子力学における「観測」も情報であり物理現象であり、熱エントロピーの増減を起こす現象の一つです。

そして、情報と物理現象と熱エントロピーの減少は、同じことを指しています。

「観測」と現象を分けて考えるやり方では、量子の振る舞いを説明することができません。しかし、情報と物理現象と熱エントロピーの減少を同一視して考えると、観測が量子の振る舞いに影響を与えるということが、不思議なことではなくなるのです。

シンプルにまとめると「量子の振る舞いは、熱エントロピーの減少によって変化する」と言うことができます。

つまり、観測者のいない不確かな量子の世界から、観測によって確定された世界への振る舞いの変化が起こるその瞬間に、熱エントロピーの減少が発生しているということです。

逆に言うと、「熱エントロピーの減少によって存在は確定する」という言い方ができます。

2つの素粒子、AとBが影響を与えあった場合に、存在が確定するのはAでしょうか?Bでしょうか?

これは、どちらとも言えません。

素粒子同士の存在は、お互いがお互いに干渉することで熱エントロピーが減少し、存在が確定します。

通常、素粒子の気ままな振る舞いが、私たちの生活に直接影響を及ぼすようなことはありませんが、シュレーディンガーの猫のような実験を本当に行ったとすれば、それなりの代償を払って、熱エントロピーのシワを極限まで集めている最先端の実験装置を通して、私たちの世界に素粒子の世界の不確定性を持ち込むことができます。

なお、このことはWikiペディアのマクスウェルの悪魔のページにも同様の記述があります。

なお、この観測過程を量子論における収縮を伴う量子状態の観測だとみなすと、この議論はシュレーディンガーの猫に類似している。 このとき、悪魔と分子の位置の相関は猫の生死の状態と同位体の崩壊の状態とのEPR相関に対応し、それを外から見ることは猫の生死の重ねあわせを認める観測問題のエヴェレット解釈に、悪魔の状態を実験者が観察することは収縮を認める立場に対応づけることができる。

情報が伝達しなければ、熱エントロピーの減少は起きませんから、不確定は不確定なままです。

むしろ、素粒子にとっても猫にとっても私たちにとっても、世界は相対的で不確定です。

不確定な度合いが非常に低いため、知覚できないのです。

その不確定性は、お互いの影響が薄ければ薄いほど増大します。

情報の伝達スピードは、光の速度を上回ることができません。

つまり、素粒子が知覚できる情報の限界は、現在から過去に向かって光速で広がる球の内側の事象に限られます。

1年前に起こった出来事は、どんなに頑張っても半径1光年の球の中で起こったことしか知覚できないのです。

情報が伝達されないということは、熱エントロピーの減少が起きないので存在の確からしさが確定しません。

実際には、半径1光年で起こっていることをすべて観測することは、不可能ですし、もっと近い存在であっても、時間が短ければ知覚することができないのです。

ゼロ時間の間に伝達される情報量は、ゼロです。

そこでは、すべての存在は確からしさを失い、存在を失います(つまり時を止めることはできないということです)。

ただし、過去に何らかの干渉が起きている素粒子同士であれば、そこから類推されうる振る舞いの範囲を逸脱することはありません。

私たちを構成している素粒子は、過去に同じ1点におり、そこで激しく相互に干渉しあって誕生しましたので、巨視的な世界での振る舞いや存在は、そこで確定しており、お互いの存在を疑うほど、量子の不確定性が増幅することはありません。

逆に言うと、私たちがこの世界で確定した存在たり得ているのは、ビッグバンによって生まれた兄弟だからです。

それ以外の存在(宇宙の外側やビッグパン以前の宇宙)については、残念ならがお互いの存在が干渉しあった事実がない以上、「存在しない」と同義ということになります。

そして、血を分け合った兄弟であるところの素粒子同士においても、その存在は相対的です。

「確定された一つの宇宙」というモデルは存在せず、対象となる素粒子から見た、距離と最後に干渉した時間に応じて、不確からしさが増幅していくのです。

そして、対象となる素粒子自身もどうやっても位置と振る舞いを特定することができません。

この世に、確かなものというのは存在しないのです。

お互いにとって不確かな可能性の重ね合わせれた、フワフワした雲のような宇宙。

世界はこのように構成されています。

存在の本質とは

私たちの世界は、すべてが相対的であり、確定的な存在というものは存在しません。

存在は存在しないのです。

存在が存在として確からしさを持つためには、他の存在との相互作用が欠かせません。

現在の世界の成り立たせているのは、ビッグバンの強烈な相互作用から始まり現在へと続く、相関関係という名の因果の連鎖です。

それは、不確かで儚い世界にあって、私たちの存在を形作っています。

途切れることなく続き、私たちを運んでいく進化の方舟です。

複雑に折り重なった因果というカタチをした物理現象は、いつしか情報と呼べるような密度を持った存在として、この星に特別な極点を作り出しています。

極点は、因果を断ち切るほどに強く、先鋭的になっていくのかもしれませんし、どこかで破綻し、熱エントロピーの波に飲まれる存在なのかもしれません。

相反する力のせめぎ合いは、非常に拮抗する形でこの世に使わされた二大勢力のように思えます。

宇宙規模で繰り広げられるドラマの中心点。

それこそが、私たちが現在置かれている立場です。

私たちは、極点に向かって進化や情報を伝えていくリレーの中で、重要な役割を担っています。

それは、儚くも空虚な世界にあっても、無意味なことではありません。

長くなりましたが、これが僕の考えるセカイノカタチのグランドデザインです。