セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

時間は繰り返さずただ流れるだけなんだよ

Clock Work

時計の針はぐるぐる回り、地球もぐるぐる回ります。

地球の周りでは月がぐるぐると周回軌道を描き、地球も太陽の周りを周回しています。

日は沈み、また昇る。死と再生のループ。悠久の時を無限に繰り返す、日常の光景です。

人の脳というのは、物事を観察し、関連性を発見しては、そこに意味を見出すという性質があります。

秒分時日週月年・・・。

私たちは、時間に区切りを設け、同じ単位の時間が繰り返すという概念を日常生活に取り入れており、これは、社会生活を営む上で非常に上手く機能しています。

上手く機能しすぎているため、私たちの世界を取り巻く、繰り返しやループの概念が「本当のこと」かのように思い込んでしまいがちですが、実際のところ、純然たる事実として、時間も世界もループなんかしていません。

138億年前の何処かで起こった大きな爆発以来、宇宙は膨張を続け、一時として同じ形をしていたことはありません。

まるでドミノ倒しのように次々と物理現象のおはじきを繰り返し、何らかの結末を迎える一過性の事象にすぎないわけです。

猛烈な勢いでお互いを弾き飛ばしながらカタチを変えていくビリヤードのような世界で、様々な影響の相互作用の結果、私たちはこの時代のこの世界に生を受けました。

そして、私たちはビリヤードの玉、あるいはドミノの一つとなって、この世界に影響を与える立場にあります。

純然たる物理現象であれば、ある事象が次の事象に与える影響と言うのは、決まりきっていて、そこに選択の余地は殆どありません。

しかし、人間の精神活動における「選択」と言うのは量子的なゆらぎの影響を受け、決定論的にすべてが決まっているわけではないことが保証されています。

つまり、儚げで微々たるものかもしれませんが、私たちには「選択する自由」が与えられているということです。

そして今の時代であれば、私たちの小さな行動は、インターネットなどを通じて互いに影響し合い、場合によっては、その後の世界を大きく世界を変える可能性を秘めています。

未来は誰にも予想できず、可能性はいくらでもありますが人生は一過性の出来事です。

その限られた時間の中で「どう生きるか?」ということは、「どのような影響を世界や未来に与えるか?」ということと同じことです。

私たちは、誰にも縛られず囚われず、運命の影響からも独立した「選択する自由」を有しています。

私たちの行動はどんな些細なものでも、世界に影響を及ぼし、その影響は未来永劫残り続けます。

「どんな影響をあたえるか」ということについても、本当に自由としか言いようが無いのですが、どうせならば、より良い影響を残すような生き方をすることで、大きな満足と幸福を得られます。

「何が良い影響を残す選択なのか」という問題には、自分で答えを出すしかありません。

善悪というのは、立場によって変わりますから、自分が信じる道を行くしかないのです。

信念を持って「良いこと」を追求していき、それが人々や世界に受け入れられた時、人生の意義というものが、より実感を伴って感じられるでしょう。

自己の欲求を満たすための選択の意味は薄く、大義を満たすための選択の意味は厚いということです。

セカイはそんなカタチをしているんだと思います。