セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

Fate/ZEROを観た。またはジャック・バウアーはアヒルのように歩く(アニメ感想文)(ネタバレ注意)

ということで、アマゾンプライムに出現した「Fate/ZERO」の1期2期をぶっ通しで鑑賞しました。ので感想です。

この作品の感想を一言で言うと、

「虚淵玄は天才かと思った」

です。

このレベルの群像劇は日本のアニメ・テレビドラマを通じて、あまりお目にかかる機会がありません(海外ドラマならこのレベルのプロットは最低限揃えてくる気がしますが)。

この作品の群像劇としての特徴はこんな感じです。

  • 初期段階で主要キャラ/陣営が出揃う
  • 各陣営にそれぞれ共通の利害関係と異なる背景、目的がある
  • なんか揉め揉めして終盤まで欠損が出ない
  • 終盤、各陣営が入り乱れて盛り上がる

最近観ているアニメで「戦闘」が存在するアニメに絞って考えると、「戦隊モノ」的なスキームを導入している作品ばかりです。

つまり、主人公側と敵対する組織から、基本的には一人ずつ敵が現れ、そいつを倒して1話(もしくは数話)終わり。というパターンです。

雑魚を倒している内に、主人公側の背景が少しづつ明らかになり、終盤敵対組織側も黒幕的なキャラが出現して盛り上がる。という構成となります。

この構成のメリットは、お話しをシンプルに出来ることで、アニメーションの制作チームを複数に分割した時に作業の割当がやりやすいというのも大きいのだと思います。

が、デメリットとしては、敵側に背景が無いので、倒した時の盛り上がりに欠けます。短期間で上手く重み付け出来る作家さんの場合だと、それなりに敵側の背景や悲哀みたいなものを演出できる場合がありますが、なんせ20分ぐらいの尺の中で「背景を説明して殺す」というのには限界があります。

そのため、「主人公側の説明をしきってしまって黒幕を登場させるにはまだ早い」という中盤にダレが発生してしまします。

贅沢な話ですが、「また雑魚かよ」「早く黒幕出せよ」みたいな感情をいだきながら「我慢して観る」というフェーズがクソたるいです。

その点、群像劇であれば、描くべき背景を持ったキャラクターが多いことと、各陣営同士の関係性など、描くべきことが爆発的に増えますので、終盤までのダレを心配する必要が無くなります。

反面、描くべきことの多さは作業量に直結しますので、プロットを描くことが困難になりますし、作業分担という点でも各話の繋がりを強く意識する必要があるため不利となります。

つまり、「群像劇は大変だ」ということです。

海外ドラマの様に、予算が潤沢にあり、分業前提で大規模プロジェクトを回すような作品であれば、恐らくそれを可能とするようなチームやノウハウやサポートが土壌として出来上がっているのだと思いますが、日本のアニメやドラマでは、様々な点において実現が難しいのではないかと思います。

そういった点を踏まえて、この作品は非常に複雑なプロットを描き切り、最後まで破綻なく物語を完遂したということ自体、大変な偉業を成し終えたと言えるでしょう。

プロジェクトマネージャーは、さぞかし辛い思いをしたのではないでしょうか。

感服しました。

ジャック・バウアーの存在感

さて、この作品の群像劇としての感想はこんなもんですが、もう一つ、どうしても外せない側面が存在します。

それは、声優小山力也氏の演技です。

小山力也と言えばジャック・バウアー、ジャック・バウアーと言えば小山力也ですが(本人は困ってると思いますが^^;)、この作品の主人公的なキャラクター、衛宮切嗣(えみやきりつぐ)の声を当てているのが、かく言う小山力也氏なのです。

最初にその声を聞いた時は、ジャパニメーションのシュッとしたキャラにそぐわない、あまりにも聞き覚えのありすぎる声に「え?ちょっww ^^;」と違和感を感じたものですが、数話観る内にその違和感は消し飛びました。

衛宮切嗣の行動理念が、ジャック・バウアーそのものと言えるものだったからです。

途中、何度か衛宮切嗣の目的のためには手段を選ばない冷徹な行動に「ジャーック!!」と叫びたくなりました。

なんという説得力。

これなら背景描写とかいりません(実際は細かく背景説明されますが)。

「もしもそれがジャック・バウアーのように歩き、ジャック・バウアーのように鳴くのなら、それはジャック・バウアーである(ダック・タイピング)」と言われるように僕の中で、彼はジャック・バウアーその人となりました。

ファンタジー色の強い、メルヘンチック(というには多少語弊がありますが)な物語にあって、彼のシビアな言動は一服の清涼剤となります。

最後まで彼は、サーヴァントと相対することを避け、マスターのみを相手にします。

聖杯戦争に参加するマスターたちは、基本的に魔法使いなので魔法使いとしての矜持に準ずる所があるのですが、ジャックは違います。あくまで武器は、爆弾やミサイルランチャーや銃を使い、情報戦を制して相手を「無力化」します。

そのために必要な人間関係は、あくまで手段であり、必要となれば躊躇いなく引き金を引けるのです。

自らのサーヴァントであるセイバーの英霊をも完全に道具として扱い、最後まで心を通わせる事なく、道具として使い切る様は、清々しいほどに清廉です。

この「使命の奴隷」とも言えるような、純粋で清廉に血の轍を歩むキャラを書ける作家が日本にいるとは思いませんでした。

このキャラクターを主人公に据えて、ジャック・バウアーの声を当てるなんて、憎い。憎いぞコンチクショウ!

まとめると

虚淵玄は天才で、プロジェクトマネージャーに感服して、小山力也は最高!

って事です。

僕の知見は、テレビ、ドラマ、アニメ、小説、ゲームなどを通して、かなり狭いので、「これが好きならこれも面白いよ!」って作品があったら、是非ご紹介ください。(__)