セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

マーブルワーズ

日本の少子化って淘汰圧による自然な人口減なのでは?

さて、最近ふと思ったのですが、現在日本が置かれている状況は、自由恋愛が市民権を得て社会に浸透したことにより、それまでの「不自由な」恋愛制度によって増えた個体が、適者生存の淘汰圧に晒されて個体数を減らしていっている過程なのではないでしょうか。

f:id:qtamaki:20170622144130g:plain 図1 日本人口の推移と将来推計(資料:国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集」等)

これは、ネットで適当に拾ってきたグラフですが、この図を見る限り、日本の人口が増加している時期が2つあり、1つは1600年頃江戸幕府が成立した時期で、それまでの戦乱によって抑えられていた人口が、大きく増加しています。

もう一つは、1900年以降の100年間で、日本だけではなく世界中で言えることですが、産業革命により賄える人数が増えたことにより爆発的に人口が増加しています。

それ以外の時期は、俗に言う「マルサスの罠」によって、食料生産と人口が拮抗してしまい、常に淘汰圧がかかっている状態で、ジリジリと増えたり、たまに飢饉で減ったりしています。

江戸時代の後半も、平和によってもたらされた人口増が、耕作によって賄えるカロリーを越えてしまったがために、頭打ちになっていることがわかると思います。逆に言うと、日本が食料を自給して賄える人口の限界というのは、3000万人ぐらいだという事になります(食料自給率問題の本質が垣間見えますね)。

こうして見ると、ここ100年間の人口増加が異常だったということが言えるような気がしますが、その時の社会体制を大雑把に言うとこんな感じです。

まず、恋愛や結婚は自由化していましたが、それまで長く続いていた価値観から、結婚への社会からの圧力が強く、お見合いや親同士、家同士の取り決めによって、半強制的に結婚させられるケースも今よりずっと多かったことが挙げられます。

結婚適齢期になれば、自動的に所帯を持ち、妻は専業主婦という体制が一般的でしたので、子供を作る時間が多く与えられ、多産が可能でした。

また、親世代との同居が普通でしたので、子を設けた際のサポート体制も「低コストで」厚く敷くことが出来、「子育ての負担を分散させる事ができる=多産が可能」という条件もあり、人口増加に大きく寄与したことと思われます。

それに対して、現在の社会体制を非常に大雑把に言うと、こんな感じになります。

まず、本格的な自由恋愛体制に移行しており、各々好きなパートナーを選択できるようになりました。

ただし、好条件の個人は少ないため、結婚できるペアは、半強制的に結婚させられていた時代よりも少なくなります。

f:id:qtamaki:20170623042344g:plain 統計元:国税庁 平成26年 民間給与実態統計調査結果

例えば、このグラフで見ると、「結婚するなら最低でも年収600万は欲しいよね」といった場合、実に男性の20%しか居ません。それも、高齢者に集中していると思われますので、結婚適齢期の男性で見ると、数%に満たないかもしれません。

この事により、晩婚化と未婚化が進んでいきます。

そして、核家族化に伴い、子育ては全て夫婦の負担となります。その上で、世帯収入を得るためと、女性の労働力が社会的に重要になってきているため、共働きが普通になっていますので、保育施設は必須なのですが、社会的なコストも高く、十分な数を揃えられません。

このことが、「子供を生む」ことのリスクとしてのしかかってきますので、少子化します。

これらのことが重なり、「口数少なく黙々と働くお父さん」であるとか「見た目はちょっとアレだけど、気立ての良いお母さん」みたいなものが存在しづらくなります。

コミュニケーションが達者で、稼ぎがよく、見た目の良い個体が生き残りやすい時代に突入したのです。

少子化は淘汰圧に伴う適者生存

爆発的な人口増加と、その後の少子化のメカニズムは、ざっとこんな感じです。

日本の未来を考えると、少子高齢化というのは、憂うべき事態ではあると思いますが、社会制度に伴う淘汰圧が普通に掛かっているだけ。という見方もできると思います。

動物社会で言えば、次世代に遺伝子を残せる個体のほうが少ないという状態は普通であり、より適した種を残すためには自然淘汰は悪いことではありません。

雑な言いようですが、人類の長い歴史においても、この100年と言うのは、一種異様なボーナス期間だったわけで、その間に個体数を増やし多様性を増やしたというのは、生物の種としての生き残り戦略としてはラッキーだったといえるでしょう。

逆に言えば、それまでの期間であれば、子孫を残すことの出来なかったであろう個体にも、生殖のチャンスが与えられたわけですが、環境の変化に対応できない子孫は、その次の代に子孫を残すことは当然かなわないわけです。

人間社会も普通に生物の営みであることを考えれば、変化した環境に順応して生き残った個体が選別されていけば、再び人口は安定していくはずです。

人間社会における適者生存の問題点

とはいえ、人間は普通の動物とはちょっと違った複雑な社会システムを持っていますので、自然の成り行きに任せるだけでは、問題が発生する可能性があります。

まず、動物は天寿を全うすること無く、死にます。

多くは天敵に食べられしまうわけですが、人間の場合、(特に日本では)これは起こらず、ほとんどの個体が天寿を全うします。老いた個体は社会の負担になります(今まさに日本で問題になっていることです)。

そもそも成長して子供を生むまでのサイクルも非常に長いので、淘汰圧による適者生存を待てない可能性があります。

ショウジョウバエであれば、数カ月もすれば何百世代もサイクルが進み、環境の変化に素早く順応することが出来ますが、人間が100世代進めるには、20世紀ほど時間が必要になります。

遺伝子が環境に適応するための条件は、完全に偶然に依存しているため、正常な適者生存を得るためには「多産多死」が好ましい状態です。しかし、日本人の場合、少産少死に向かっているため、適者生存による優良な個体選別がうまく機能しない可能性があります。

一番あり得るケースとしては、「特に最適化もされないまま人口が減ってアボン」というシナリオです。

まさに今言われていることですが。^^;

このエントリーは、長々と理屈をこねた割には、答えは出ないで終わります。^^;;

何処かで、人口減少圧と増加圧がバランスすれば、少子化に歯止めが掛かるかもしれませんし、社会システムが破綻して、日本という国家が地図の上から消えるのかもしれません。

先のことは誰にもわかりませんが、少しつづでも、自分が良いと信じるアクションを起こしていくしかないかなと思います。