セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

「選択しない」という最悪の選択肢

人生とは選択の連続です。

差し迫られて否応なく行う選択もあれば、積極的に自分で選んでいく選択もあると思います。

そして、時間が経過することで、選択肢が消滅し、実質的に選択される選択肢というものもあります。

これは、「選択しない」という選択肢を選んだことになりますが、これが最も悪い選択となります。

人生は有限であり、誰にも等しく時間は流れます。

若きは老い、老いは死に絶えるわけです。

その中で、自分で選択し、行動することによってのみ、人生は切り開かれます。

「何をやらなかったか」で語られることはありません。

「何をやったか」で語られるのです。

実質無限の可能性

職業選択の話で言えば、若者にとって、可能性は無限大です。

しかし、それは「○○になる と言う選択肢をその時点で選べば」の話です。

早い時点で可能性の閉ざされる世界もあれば、遅くまで門戸が開かれている職業もあります。

いずれにせよ、何も選択しなければ、時間の経過とともに選択肢は限られ、可能性はゼロに近づきます。

選択することによって消える可能性

いくつかの選択肢から、ひとつを選ぶということは、それ以外の選択肢を選ばないということです。

あたりまえのことを言っていますが、凄く重要な事です。

選択するという行為の本質に関わる話しです。

「ひとつを選択する=それ以外を選択しない」と言うことは、暗に選択者にプレッシャーを与えます。

100の選択肢からひとつ選ぶのであれば、「1対99」を天秤に掛けることになります。

「自分が選択しようとしている選択肢は、残りすべての選択肢と比べて価値のあるものだろうか?」

無意識の内にこういう比較をすることになります。

そして、場合によっては十分に優位性を確信することが出来ずに可能性を可能性のまま保持しようとします。

つまり、「選択しない」ことを選択してしまうわけです。

選択しないことによって消える可能性

100の中からひとつを選ぶというのは、非常に大変です。

ましてや、無限の可能性からひとつを選ぶなんて言うのは、ほぼ不可能に近いことだと思います。

だから、大抵の人は可能性を選択せずに放置します。

そして、時間の経過とともに自然と選択肢が減っていくのをただただ待つわけです。

無意識の内に。

少しずつ可能性の輪は小さくなっていき、十分に少なくなり、実質的に選べる物が無くなってから選択するのであれば、「選択しなかった可能性」から受けるプレッシャーは少なくなります。

そうやって残された可能性は、誰しもが選ぶような平凡な選択肢になるでしょう。

そう考えると、人の器の大きさというのは、どれだけ多くの選択肢の中から、ひとつを選び出せるかということなのかもしれません。

積極的な選択の重要性

こう考えると、逆に人生の必勝法が見てきます。

なるべく多くの選択肢が残されている内に、つまりなるべく早く、何かしら選択して行動に移すことです。

たとえ、その選択肢が間違っていたことが後に判ったとしても、恐らく何も選択しないよりはマシなはずです。

何かの行動には、必ず何らかの結果がついてきます。

それが、次の選択肢を生むこともあります。

きっと、今よりも豊かな人生を送ることができることでしょう。

必要なのは勇気です。