セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

僕はプログラミング教育について大賛成です

www.murasakai.net

ふと、目に留まったこちらの記事ですが、非常に良いことが書いてあるので、ちょっとプログラミング教育に関して僕の意見を書きます。

まず、表題に書いてしまいましたが、僕は「大賛成」という意見を持っています。

プログラミングは読み書きソロバンのソロバン

プログラミングは、手段です。

現代のソロバンです。

現代社会における、コンピュータや、スマートデバイス、ウェアラブルデバイス、IoTの重要性については、今更説明する必要もないでしょう。

そして、今後、今の子供達が成人する時代においては、更にその重要性が増してくることは間違いないと思います。

そうした時代に、モノづくりの道具としてのプログラミングに素養があることは、クリエイティブな表現の選択肢を大幅に増やします。

アナログな世界でのモノ作りを目指したとしても、「土器+アプリ」「書道+ウェアラブル」のように、ITとの連携なくして新たなニーズを作り出すことは困難でしょう。

もちろん、すべてがそうとは言いません。

しかし、今までの感覚でコンピュータとアナログの世界を切り離して考えることは、今よりずっと難しくなっているはずです。

現代人として、避けて通れない教養の一つとして、ソロバンのポジションを得るにふさわしい教科となるでしょう。

論理的思考の訓練としてのプログラミング

プログラミング学習には、「プログラムを書けるようになる」という効果だけでなく、論理的思考を鍛えるという側面もあります。

プログラムのフローや論理演算から始まり、オブジェクト指向や、関数型言語の抽象概念とそれらがキッチリ組み合わさって動くという世界は、高度でワクワクするパズルです。

プログラミングに子供のうちから接するこということは、自然と理論的な思考が育まれることになります。

たとえば、プログラミングを必須科目としたとしても、義務教育以降、専門的な教育を受ける子供は僅かかもしれません。

しかし、それでも発想の柔軟性が高い時期に、プログラミングを学ぶという体験は、その後の人生に大きく影響を与えるはずです。

プログラミングは雇われるために覚えるんじゃない

現在、世界的に大きく伸びているビジネスは、ほぼ100%アプリとネットワークを中心としたビジネスです。

次の10年は、それが更に加速します。

子どもたちにとって、プログラミングは、新たなビジネスをスタートするための必須技能になります。

「プログラマを雇えばいいじゃないか」という考えは通用しません。

システムに関してチンプンカンプンな人間が、ビジネスを立ち上げられる時代はとっくの昔に終わりを告げています。

これからの時代は、ビジネスのコアの部分(アプリの核心的なアイディアとなります)に、プログラミング上の実現可能性やコスト、リスクが直接関わってきます。

プログラマを雇うにしても、そのプログラマと直接会話し、具体的な議論をする必要があるのです。

一方で、プログラマーの就労環境が劣悪と言われてきたのは、事実です。

しかし、SIerの時代は終わり、事業会社によるプログラマーの直接雇用の時代が始まっています。

また、そもそも雇われるための道具ではないです。

自らの未来を切り開くための道具です。

日本には、資源も土地もありません。

機械、電気、電子産業は、コモディティ化してしまって、散々です。

今まで、日本を支えてきてくれた主要産業が、死に絶えようとしている今、次に必要とされているのは、アプリケーションです。

プログラミングを学んだ若者達によって、これからどんどん新しいビジネスが花開いていきます。

より、創造的なプログラマが求められ、創造的なプログラマの手によって、新たな雇用が生まれていくという循環によって、未来の日本が形造られていくのです。

プログラミングという才能の発掘

システム屋として、今まで何人ものエンジニアに会ってきました。

そして、自身でも何人かのエンジニア候補を採用して、教育をしてきました。

その結果、実感として感じているのは、プログラミングの能力には、天性の才能が大きく関わっていると言うことです。

万人が、スーパープログラマーになることは絶対にありません。

1000人に1人とか、1万人に1人とか言うレベルで、凄腕のエンジニアに育つ人材が現れます。

「そういう人間は勝手に勉強してプログラマになるんじゃないの?」

こういう意見ももっともですが、そうではないケースも多くあると思います。

僕の知っている、世界でもトップレベルのプログラマーの某氏は、大学時代書道科で書道ばかりしていたそうです。

自分に才能があるかなんて、自分でもわからないのです。

サッカーや野球が、弱年齢のカテゴリーに注力するのは、良い逸材をなるべく早く発見したいからです。

草サッカーや草野球を振興するのは、プレイ人数を増やして母集団を少しでも増やしたいからです。

それが、トップカテゴリーのレベルの上昇させることに繋がるというのは、わざわざ説明するまでもないことです。

プログラミングを義務教育化することは、我が国のプログラマーのトップレベルを革命的に上昇させることになると思います。

その時活躍しているトッププレーヤーたちは、学校で触れる機会がなかったら、プログラマーになることは無かったかもしれません。

他の分野で活躍しているかもしれませんし、自分の才能を見いだせず、腐っているかもしれません*1

世界はもう気づいている

日本の動きは遅いぐらいです。

世界は、とっくに動き出しています。

オバマ大統領は、2013年に「全てのアメリカ人にプログラミングを学んでほしい」と語って世界を驚かせました。

プログラミング教育は、世界の最重要課題です。

「必要あるのか?」みたいな議論は、とっくの昔に終わった話なのです。

プログラミングは楽しい!

最終的に、これを強く言いたいわけですが。(^^;

プログラミングを全く触ったことのない高校生やそれに準じた人たちに、「Scratch」を教える機会が何回かありました。

初めてScratchでプログラミングに触れた子たちは、総じて「感動した」「面白かった」と感想を語ってくれました。

プログラミングは、それ単体で目的になります。

世界中のプログラマーたちが、プログラミングに熱狂しています。

プログラミングやアプリケーションには色々な魅力があり、様々な興奮を僕らに与えてくれます。

もちろん、まったく興味を感じられない人も多くいます。

しかし、興味を持ちながら触れる機会がなかったという人も多いのだと思います。

子どもたちに、少しでも多くプログラミングに触れるキッカケを与えてあげるのも、大人の役割ではないでしょうか。

僕は「全てのアメリカ日本人にプログラミングを学んでほしい」と切に思います。

*1:プログラマーというのは、その才能がなければ社会不適合であることが多い職種でもあるので(^^;