セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

愚かであることの大切さ

さて、トランプ氏が第45代アメリカ大統領に就任することになりそうですね。

今回の大統領選にも関係しますが、わりと普遍的な事実として、主張の強さと正確さというのは、反比例する関係にあります。

こうしてブログを書いていても、より「正確に書こう」とすると、記事の「強さ」が損なわれ、文章の勢いを優先させるためには、多少の割り切りを必要する場面にしばしば直面し、頭を悩ませる事がよくあります。

人が、何らかの主張をしようとする時、相手にどのように伝わるのかと言うのは、非常に重要です。物事と言うのは、大概複雑にできており、経緯や社会背景などを含めると、とても一言では言い切れない問題をはらんでいるため、すべての側面に考慮した形で、正確に正しいことを伝えようとすると、テーマがぼやけてしまうのです。

特に「ブログのテーマにしよう」と思えるような話題は、何らかの複雑な事情を含んでいるがゆえに、記事にすると面白みが出るわけで、必然的に「長々と説明してあって正確」な表現となるか「細部を切り捨てて短く強力」な表現となるかは、トレードオフの関係になります。

つまり、ストレートに主張の核心となる事項を説明すれば、強い文章を書くことが出来ますが、表現は誤解を招きやすく、様々なケースで反例を挙げることが容易になります。

逆に、テーマを核として、様々なケースに対して言及していくことは、主張の正当性を高め、反論を抑止することが出来ますが、肝心の主張の力が弱くなります。これは、枝葉の話題が増えることによって、脇道にそれた話題に埋もれてしまうということもありますが、そもそもの主張自体も、あらゆるケースに対応しようとすると、複雑で八方美人になり、結局何も言っていないのとさして変わらなくなるということでもあります。

文章というのは、基本的に一本道でなくてはならず、見通しを良くするためには、補足のための分岐も可能な限り削らなければなりません*1

これは、プログラミング言語やハイパーリンクという比較対象と比べると大きな枷であり、表現上の限界といえます。

100行以上も長々と補足のための話題を続けた上で、突然本題に戻ったとしても、分岐前にどのような話題をしていたのか、覚えていることが困難です。

補足の補足や、考えられる幾つかの項目を箇条書きにして、それぞれの良し悪しを個別に吟味するなど、話を複雑にするケースは、枚挙に暇がありません。

「美味しいラーメン」について扱ったブログで、健康への影響や、環境への配慮について考察し、競合となる食品として「蕎麦、うどん、素麺、冷麺、スパゲッティ」について個別に触れ、スパゲッティについては特にナポリタンとミートソースの特性とラーメンの関係に触れ、ラーメンの歴史や生い立ちに触れ、レパートリーとしての「つけ麺、汁なし、冷やし中華、焼きラーメン」についての項目を設けていったら、果たして何を主張したいのかわからなくなりそうです。

良い主張というのは、簡潔で明快で本質を捉えており、ターゲット以外の読者の反感を買ってでも、目指した相手の心臓を確実に貫くような力を持っているものです。

核の部分が、真理を持つのであれば、派生するバリエーションの幾つかにおいて、論理の破綻や矛盾があったとしても、怖れる必要はありません。

その主張をなるべく多くの人にぶつけて、ターゲットを射止めていけば良いわけですから。

そして、このことはブログだけではなく、政策においても同じことが言えます。

今回のトランプ氏の主張は、短略的に現在のアメリカの一部の人々が抱えている不満を捉えていますが、広く理性的に考えれば、間違っていることはすぐにわかります。それでも、そんなことは問題にならないのです。どうせ、ヒラリーの主張だって間違えているんです。そんなことより、「自分の不満を言い当てているか」という本質を外さず、ターゲットの心臓を一発で射抜くパワーを持っていたがために、ここまで支持を集めてしまいました。

これは、そんなに簡単なことではないですが、十分起こり得ることだったということです。

言葉を悪くすれば、主張に魂を込めるには「愚か」である必要があるということです。完璧で理性的な主張と言うのは、難しさや複雑さを内包しており、理解できる人達には、理性的に受け入れられるかもしれませんが、魂を揺さぶるような影響力を持ちえません。

若者たちの主張が、青臭く世間知らずで愚かであるにもかかわらず、強く人々の心に印象を残すのは、純粋で一途だからです。

一歩間違えると、総叩きにあって炎上火だるまとなるので、踏み出す勇気が必要ですが、トランプ氏は、全世界からの集中砲火を浴びて、業火に包まれたまま、大統領まで駆け上がったわけです。

「愚かであれ」とはよく言ったものです。

*1:このように注釈を別項として表現できるWebの文章は少しはマシだといえますが