セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

AIで仕事がなくなっちゃう!という誤解の誤解

d.hatena.ne.jp

id:shi3z さんの日記は毎度面白いです(そしてタイトルの通り長い)。

触発されて、感想と日々感じていることを書きます。

AI化で無くなる仕事は、定型的な仕事なので、クリエイティブな仕事は残ります。

そのため、つまらない仕事はロボットに任せて、人々はよりクリエイティブな仕事に従事することができるようになります。

これは間違いないことなのですが、2つ問題があります。

人は皆、クリエイティブなわけではない

1つは、この世にいるすべての人が、クリエイティブな仕事を望んでいるわけではないし、その能力が欠けている人も居るかも知れない。ということです。

僕が今までの人生経験の中で接してきた人の中には「何かを創造的に考えて新しい物を作り出したい」という欲求が大きい人と小さい人がいました。

もっとありていに言うと、クリエイティビティが高い人の方が遥かに少ない印象を持っています。

何か決められたことを黙々とこなすことに喜びを見出していて、「新たに自分で物を考える」ことを強要されることにあからさまに苦痛を訴える人もいました。

そういった人たちにとっては、AIと言うのは間違いなく脅威です。

一握りのクリエイティブな人達がAIの恩恵を受けて、よりクリエイティブな仕事に専念する一方、クリエイティブな仕事が苦手な人達は、失業するのかもしれません。

クリエイティブ or DIEな世界です。

未来の仕事の総量

また、もう一つの問題として、全人類がクリエイティブな仕事にシフトしたとして、それらを埋めるほど、クリエイティブなポストがあるのでしょうか?

例えば、今は知りませんが、一昔前は中国で工場を作るとき、機械の導入が禁止されていました。

機械を導入すれば効率的にできる工程を手作業で行うことで雇用を生み出したのです。

当時の中国では、数千人とか数万人規模の大規模工場が珍しくなく、大量の人手を使って製品を生み出していました。

この人達は、AI化を待つことなく、機械化されれば失業します。

そもそも、人類は有史以来、「存在する仕事の総量>人類が行える仕事の総量」という状況が続いてきました。

好き嫌い、向き不向き、損得などの要素はあるにせよ、誰かが仕事をしようとした時に、従事することのできる仕事の量は、常に人口に対して上回る状態ということです。

好不況の波によって、失業率が増えることがあっても「人口に対して仕事が不足する」という状況を未だ人類は経験していません。

しかし、AIの実用化に伴い、このバランスが根本的に崩れる可能性があります。

人類は、やるべき仕事を失うのです。

先程述べたとおり、クリエイティブな仕事は、今後も人手不足が続くでしょう。

しかし、仕事の総量としては、人口を支えるほどの量がないので、ごく一部の特権階級的な人々を除き「総じて極貧」という社会形態が出現する可能性があります。

現在の世界経済の仕組みでは「労働と対価」という構造が絶対的な多数を占めています。

国家は、仕事や雇用を創設するために公共事業などを行い、「労働と対価」という文脈の中で、国民が飢えないようにしています。

絶対的な仕事が不足することで、このロジックが破綻しようとしているのです。

恐らく、大きな社会的な混乱が生じ、新しい社会形態へと移行することになるでしょう。

個人的には、ベーシックインカムが導入されるのではないかと思っています。

その場合でも、今までは、「労働と対価」の原理と通貨制度がうまく機能していて、公平性や公正性を担保してきたものを別の機能で置き換える必要が有るため、単純にお金をバラ撒いてもうまくいかないので、そこをどうするかが課題となりそうですが。

日本人には厳しい時代

日本の教育や、新卒採用制度、その後の年功序列制度など、日本の社会形態は、徹底的にクリエイティビティを排除する方向で成長してきました。

世界が、AI化とクリエイティビティにシフトしたとき、日本の社会制度や日本人にとって、これほど厳しい時代はないのではないかと思います。

少しでも、クリエイティブな仕事に従事できる人材を増やすため、教育から社会制度まで、根本的に見直さないと行けないのですが、どうなるのでしょうか?

とりあえず、自分の子供が少しでもクリエイティブに考える癖が身につくように精一杯のアイディアを尽くしたいと思っています。