セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

「独身40代の孤独」の正体とは(2021年加筆)

2021年4月に少し更新しました*1

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1週間ぐらい前の増田(アノニマス・ダイアリーの略)で、こんなネタが上がっており、はてブ1000件に届きそうな勢いです(2018/9/4現在)。

自分も40代ですが「みんな孤独なんだなあ」と思いながら適当にコメントしてスルーしていたのですが、この増田が5ちゃん(旧2ちゃん)のニュー速に引用されパートスレが★7まで伸びているではないですか。

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これは、ただことではないです。

年がら年中パートスレが立っているニュー速+と違って、ニュー速民は飽きっぽいのでパートスレが立つことは殆どありません。それも★7まで行くのは、非常に稀です。

ここまで関心があるというのは、なんだかんだみんな孤独であったり寂しかったりするのだろうと思い、「何故、40代は孤独を感じるのだろうか?」ということに関して考察してみました。最後に結論を書いていますので、長いですがお付き合いいただけると幸いです。

独身の寂しさに関する増田

さて、まず始めに一つ確認しておきたいのですが、実は40代(もしくはアラフォーぐらい)からの孤独についてテーマにした増田はそれなりに書かれています。

これ以外にもあるとは思いますが、年に数回、見かけるたびにブクマしていると思うので、自分のブクマから雑に拾った感じでもこれだけあります。

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仕事をバリバリこなしキャリアを築いてきた友人が40歳で命を絶つというお話です。いたたまれません。

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独身で遊びもしないとお金がたまるんだと思いますが、人生はからっぽで満たされないという思いをつづっています。孤独ネタには「お金があれば問題ないじゃん」みたいなブコメがよくつきますが、お金では埋められない孤独というものが確実に存在するんだと思います。

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この増田は、ひとりでいることを謳歌してそうですが「背筋が凍るほど上手になった」というフレーズに深い孤独を感じます。

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人生の手札が少しずつ減っていき、孤独に苛まれながらも打つ手がない状態をステイルメイトと称しています。

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孤独に気づいたときには後戻りできないという窮状を訴えています。「子供を作れ」「家族を持て」という叫びは絶望の底から響きます。

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Hagex氏が殺害された事件の犯人「低能先生」についての言及です。彼も40歳でした。孤独を紛らわせるためのネットでの暴言をまき散らしていましたが、粛々と通報され、居場所を失い追い込まれたことも事件のきっかけになったのかもしれません。

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こちらの増田は30代の女性です。結婚適齢期や出産などもあるため、男性よりも孤独と焦燥感が早く訪れるのかもしれません。

40代の絶望の正体とは

さて、これらの人たちの孤独は、一つ一つ身につまされるような絶望感に満ちていますが、並べてみると40代を覆う絶望の深さがより鮮明に浮かび上がってきます。

どの増田も気が付いた時には袋小路に追い込められ打つ手がないという窮状に陥っているように思えます。

ここまでの孤独に追い詰められる40代は、全体から見るとごくわずかなのかもしれません。

1000人に一人とか10000人に一人ぐらい?

しかし、そこまでは至らないにしても、はんなりとした孤独感を感じて日々暮らしている人も多いことでしょう。だからこそ、これらの増田たちが多くのブクマを集め、ニュー速にパートスレを立てさせているのです。これはどうしてでしょうか?

ここからは、自分の40代として経験も踏まえて、これらの原因について考察したいと思います。

祭りのあと

まず、自分が強く感じていることは、若い頃にあんなに輝いていて大切だと思えたものの価値が、すっかり色あせてしまうということです。

若い頃は、朝まで飲み明かして「バカ」をやっていることが楽しいと思っていましたが、今では酒も止めてしまいましたし、友達と会う機会もすっかり減りました。

新規に「バカ話」が補給されないため、久しぶりに会った友達とも「昔話」ばっかりするようになります。これもまた一抹の寂しさを感じる要因となります。

学生時代や20代は、みんな未熟で物も知らないので話題も限られ、価値観も似たり寄ったりです。同じようなことに興奮してゲラゲラ笑い、憤り、悲しんでいたわけです。自然と連帯感が生まれ、「仲間」というものに大きな価値観を感じます。しかし、30代40代と色々な経験を積んでいくにつれ、成長の度合いや歩んできた人生の経路によって、それぞれの価値観にバラツキが出てきます。上司や社長になる人間もいれば、非正規や働いてない人もいたりして、それぞれの立場で見えるものが異なるため、会話がギクシャクしてきます。結果的に、昔話や健康問題なんかを話すしか共通の話題が無いのです。そこにかつて感じていた高揚感や一体感はありません。かつての思い出の余韻に浸るか、淡々と知識の交換をしていくわけです。

そこに、祭りの後のような寂しさが漂うわけです。

恋は遠き日の花火となる

「恋は、遠い日の花火じゃない」というキャッチコピーがありましたが、そんな宣伝文句とは裏腹に、異性に対する関心も枯れていきます。先ほどの増田にも、恋愛に絶望する声が多く挙げられています。それも、失恋の痛みではなく、恋の火が消えてしまった寂しさに対する絶望です。

体からも心からも瑞々しさが失われます。飲んで馬鹿をする楽しさに加え、気になる女の子に恋をする楽しさも奪われます

40代まで独身であった者ならばなおさらです。恋の仕方も知らぬまま、「体も心も衰えてしまった」という窮状に陥ります。もはや、どこに行って誰と会えば恋人ができて、ましてや結婚できるのか想像もつかないという状況にうろたえます。20代や30代ならば、努力やきっかけさえあれば「何とかなるかもしれない(けど何もしない)」といえるかもしれませんが、40代ともなると一段深く、「もう努力やきっかけでは埋められない」という絶望にシフトしていくわけです。

趣味や興味分野も色あせていく

好奇心や知的探求心の源泉は「無知」です。「知らないことを知る」とか「新しい体験をする」といったことが大きな喜びを与えてくれるのですが、当然ながら知識や経験が蓄えられていく毎にこれらの刺激は小さくなっていきます。増田の中にも、今まで絶対の価値を確信していた趣味や興味分野に対しての情熱が冷めてしまったことに驚きや失望を感じているケースがあります。

「一生ゲームやっていれば幸せ」みたいな価値観が急に色あせていくのです。心の瑞々しさや弾性が失われ、新しいことへの挑戦が億劫になり、新しい価値観が受け入れられなくなると、今の井戸が枯れてしまえば、次の興味を掘りに行く気力や体力は、もう残っていないのです。

「心の固さ」は、すべてにおいて致命的です。お金があっても解決しないと感じている増田が多いのは、状況を打破するのに必要な行動力を失ってしまうからです。

どんな時でも、自分を取り巻く世界を変えてくれるのは自分自身の行動しかありません。絶望的な状況に陥っている増田は、元々この行動力が欠けていると自ら振り返っているケースが多いと思いますが、若い頃に行動力を持っていた人でも年齢とともに心は固く、重く、冷たくなっていきます。自分が動かなければ変わらないと頭ではわかっていても、もうどうすることもできないという果てしない無力感が横たわっているのです。

親との死別や一族が減っていく

40代ともなると、親が年老いたり死んだりしていきます。

「無くしてわかるありがとさん」といいますが、親が死去したり経済的な能力を失ったりすると、今まで何だかんだ最後のセーフネットとなっていた後ろ盾を失います。

自分は、独立心が強い方で、親に頼ったことはほとんどないのですが、それでも片方の親を既に亡くしており心細さを感じています。

そして、失っていくのは親ばかりではなく、親戚関係も減っていきます。親がいなくなれば親類とのつながりも希薄になるので一気に孤立した感じになります。

実際これは、はっきりとした「孤立」です。よりリアルに、実体と実感を伴った純粋で黒々とした冷たい孤独が鼻先に迫っていることに気づくのです。

気がつけば暗い海の中に一人いる

友や仲間、恋心、ゲームや趣味といった、かけがえのない価値を持っていた宝物は色を失い、肉親や親類といった血の繋がりも希薄になったときに、ふと気づくと自分が暗い海の真ん中に一人でいることに気がつきます。

周りにいる人たちは自分の存在をあまり認識しておらず、深い共感を得られるような出来事からも年単位で遠ざかっていくと、もはや自分が「何のために生きているのか」という疑問から目をそらすことができなくなっていきます。

新しく、価値のあるものを探そうにも、心は硬く冷たくなってしまっていて、言うことを聞きません。

暗い底なし沼に、ゆっくりと時間をかけて、じわじわ沈んでいくようなものです。

毎日同じような日常が繰り返されるばかりで、そこから救い出してくれる「何か」が訪れる可能性は絶望的です。

そんな孤独が、40代に訪れるのです。

孤独に順応しよう

「いやいや既に40代なんだけど」という方もいらっしゃると思います。

人間誰しも訪れる、老いやそれに伴う孤独に対応するにはどうすればよいか?

その対策はずばり「瞑想」です。

「お前は結局それか」と言われそうですが、なんだかんだ人生の後半戦に心の平安をもたらすのは、健康的な生活と瞑想だと思います。

xevra先生もこう言っています。

独身四十代の孤独は凄まじい。 いい一日でも悪い一日でも、 朝から晩まで孤..

運動と瞑想しない者の末路はいつも悲惨だ。なぜやらなかったのか? もうダメだ。お大事に

2018/08/31 00:13
b.hatena.ne.jp

40代で孤独ならば時間はあるでしょうから、瞑想し放題なので実はチャンスともいえます。

ウィパッサナー瞑想などの瞑想をおこなって心の安寧を得ることができれば怖いものなんて何もありません。

家族や仕事に追われる毎日では本格的に修行したり出家したりするのは難しいですが、孤独であるということは「しがらみがない」ということでもありますので、大胆に人生の舵を切ることだってできます。

心の平安を取り戻し本当の自由を謳歌しましょう。

回避しよう(2,30代向け)

あなたがもし若くて、今からこの孤独を回避するには、どうしたら良いでしょうか?

ありていに、身も蓋もなく、面白みもなく、奇をてらわず、ぶっちゃけて言うのであれば、結婚して子供を作ることです。

面白みのない回答で申し訳ないですが、自分は、奇跡的にかみさんと一緒になることができて、さらに奇跡が続いて子供をもうけることができて本当にラッキーだったと思います。

子宝というのは、まさに宝で、すべてが色あせる40代に新たな価値観を与えてくれます。もちろん、悩みや苦しみを携えてやってくるわけですが、衰えて冷え固まろうとする心を無理やり揺さぶり、ひび割れ、ボロボロにしてでも、強引に突き動かしてくれる強さがあります。若い頃のような弾力が無いため、そんなに乱暴にされるとボロボロになってしまうわけですが、それでも冷え固まって動かなくなってしまうよりはずいぶんマシだと思えます。

結婚生活は比較的どうでもいいです。かみさんとはそれなりに仲良くやっていますが、結婚をうまくやろうとするのは、ほとんど神業に近いと思います。お互いの価値観がぶつかり合いますし、経済的には間違いなく損でしかないので、結婚を目標に置くとバカバカしくてやってられなくなるんじゃないかと思います。

自分の経験からすると、「結婚する」というより「子供を作り育てる」に主眼を置いて、結婚生活の苦難は甘んじて受け入れると覚悟した方が、クオリティー・オブ・ライフ(QoL)が高くなると信じています。人生「重荷を負うて、遠き道を行くがごとし」。頑張りましょう。

孤独の正体は他者への影響力

人の幸福の仕組みは、「他へ良い影響を与えること」に集約されます。お金で孤独が解消されないことからも分かる通り、自己の欲を満たすだけの満足というのは喜びが少なく満足感も小さくなります。子供を持つことが幸福につながるのは、単に親子という関係がお互いに非常に強烈な影響力を持つからです。

その影響が良いか悪いかは絶対的な基準がありませんので自分が信じる行いを選ぶしかありませんが、他者に影響を与えるという行いは根源的な満足を与えてくれます。

逆説的ですが、孤独というのは他者への影響を失うことであり、それにより幸福感を失った状態となります。瞑想は自己の中から様々な欲求を払拭し不幸な気持ちを薄れさせてくれますが、それだけでは不十分な人もいると思います。

自らの影響を他者に及ぼしていくという行為は、慈悲という言葉でも呼ばれます。これは、自分自身の幸福のためでもあり、他の誰かの幸福のためでもあります。

瞑想が受動的な孤独への対策だとすれば、慈悲は能動的な対策です。

積極的に他者と関わり合いを持ち良い影響を与えることを心がけると、結局は自分の利益になるということです。

情けは人の為ならず。

Lonely

*1:わかりにくい言い回しを直して強調部分を作りました。あと「対策が役に立たない」と言って絶望する方が散見されるので、順番を入れ替えました。わたし的には若者向けはオマケのつもりです。すでに3年前の記事ですがたまに訪れる方がいらっしゃるので少しでも読みやすくなっていたら幸いです。また、ここを訪れる全ての人に幸福がもたらされることを願います