セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

マーブルワーズ

瞼の罪

私達の目は、物を見ない事ができません。

 

私達の耳は、音を聞かない事ができません。

 

私達の鼻は、匂いを嗅がない事ができません。

 

私達の口は、味を味わわない事ができません。

 

私達の体は、痛みを感じない事ができません。

 

私達の心は、考えない事ができません。

 

「目を閉じれば何も見えないじゃないか」と思う人がいるかもしれませんが、それが「瞼の罪」です。

 

太陽に向かって目を閉じてみれば、瞳が光を捉えるのをやめているかは一目瞭然です。目は、見る事をやめてはいません。単に瞼という薄皮一枚のシャッターで遮っているのに過ぎないのです。

 

たったこれだけの事が、私達の認識を狂わせるのに十分な効果を発揮します。

 

脳が処理している情報の7割は視覚情報だと言われています。そのメインセンサーを自由に開閉する事が出来る事で、私達は、自身の体を自由に操っているという錯覚を起こしてしまっているのです。

 

冷静になって考えて見ると、私達の体は情報を遮断することが一切できない仕組みになっています。生まれてから死ぬまで、五感は信号を送り続け、脳はそれに反応して考え続けます。

 

私達は自分自身の心と体の主人であるように感じていますが、実際はやってくる刺激のままに動かされている奴隷だったのです。

 

これが苦しくないはずはありません。

 

この苦しみから解放されるには、自身が自身の奴隷である事実を客観的に観察し、それと向き合うことです。

 

目が見ていることを観察し、耳が聞いていることを観察し、鼻が嗅いでいる事を観察し、口が味わっている事を観察し、体が感じている事を観察し、心が考えている事を観察します。

 

自分自身に対する客観的な視座を持つことによって、自分自身の奴隷ではなく、少なくとも対等な関係にまで持っていく事が出来ます。

 

世界のカタチをより本質的に理解する事が出来ます。