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セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

マーブルワーズ

小鼻の黒ずみ、角栓、いちご鼻はヒルドイドで劇的に改善する

ライフハック 生活

タイトルで言いたいことを言い切ったので、本文はオマケです。

僕は、40代男性なので、スキンケアに興味はまったくないのですが、30代後半ぐらいになると小鼻の黒ずみが酷くなります。

なんか、毛穴が開いてイチゴのようにプツプツした感じになって、アップで見ると結構グロい感じになるので、「年だからしょうがないのかも知れないけど、なんか嫌だなー」と思っていました。

きっかけは、子供が生まれて、小児科医に行くと大量にヒルドイドを処方されます(ヒルドイドと言うのは、小児科で処方されるピンク色の保湿クリームです。市販薬より効果が高いと言われています)。

子供の肌は繊細なので保湿が命とばかりに全身に塗りたくっていたのですが、冬場、肌がカサカサする時などに余った分を自分にも塗っていました。

するとどうでしょう(ナレーション)。

あんなに凸凹していた小鼻の毛穴が「キュッ」と引き締まり、結果的に角栓も目立たなくなっていました。

それまで、「角栓」にばかり気を取られ、「これをどう除去するか」ということばかり考えていました。

そのため、こんなので角栓を取ったり、小鼻をギュッと押してニュルニュルさせたりしていました。

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しかし、ポイントが違ったのです。

できてしまった角栓を取り除くのではなく、角栓ができにくい小鼻を作れば良かったのです。

予防医療の重要性を感じました。

「小鼻を保湿→毛穴が締まる→角栓が溜らない」という図式です。

解ってみれば簡単なことですが、盲点となっていると気づかないものですね。

いま起こっているのは日本型社会主義の崩壊だ

セカイノカタチ 社会 考察

日本型社会主義 - Wikipedia

ソニー、サンヨー、シャープ、松下、東芝、

ブラック企業、過労、鬱、先進国で最も低い生産性、

少子高齢化、待機児童、地方創生、一億総活躍時代、

年金問題、財政問題、憲法改正。

日本は、「世界で最も成功した社会主義国」と言われることがあります(ありました)。

分厚い社会保障を好み、集団の中で庇護されることを好み、生産性よりも画一性を好み、自由は誰かがくれるもの、もしくは、生来の権利として誰もが平等に生まれ持つものと信じて疑わず、隣の振り見て我が振り直し、同調圧力の中で、自由恋愛、職業選択の自由、言論の自由、移動の自由、自由という名のニンジンに満足して、幸せとは全体の中に個を埋没させることと自分たちに言い聞かせてきた国民によって、素晴らしくうまく運営されてきた社会システムです。

戦70年に渡り、抜群に良好なパフォーマンスを発揮し、諸外国を尻目に奇跡の経済成長と様々なイノベーションを巻き起こしてきた謎のイデオロギーは、その役目を終えようとしています。

どんな社会システムでも、いつかは崩壊します。

日本では、見た目上、自由主義で資本主義でありながら、社会と国民の性向によって、実質的に社会主義的な機能を持つ国家運営がなされてきました。

その中心には、会社中心の生活スタイルや価値観を生み出す、新卒採用制度や年功序列制度、正社員の雇用保護政策があります。

そしてイノベーションや責任よりも画一性や協調性、忍耐や努力を強いる洗脳行為は、学校教育から始まり、新卒研修による大学生活の否定、定年退職に至るまで綿密に組み込まれており、社会に深く根ざしています。

この根本的な、日本を日本たらしめている日本的な社会の仕組みが、世界情勢や経済のグローバル化、機械電気電子産業のコモディティ化などの変化に伴い、根本的に通用しなくなってきていることが、現在日本が抱えている様々な社会問題の根底にあります。

数年前に、SNSの普及によってイスラム諸国に自由の革命が連鎖した「アラブの春」という現象がありました。(結果の善し悪しは別として)それと同じことが日本にも起こっているのです。

様々な、メディアや政府や企業団体によって社会を覆っていた嘘に人々が気づき始めた事により、前出の社会制度への忠誠心や求心力が急速に失われていることを感じます。

みんな、現在の社会制度が間違っているのじゃないか?と思い始めているのです。

間違っているかどうかは一概にはいえませんが、問題がないかというと、様々な問題があるわけです。

この問題を解決するためには、小手先の対策では恐らく無理でしょう。なぜならば、現在の問題が日本の社会制度と国民一人一人の意思が集合した国体の問題であるからです。

それに、現在の社会システムだって、完全に悪いわけではありません。

完全に自由な制度であれば、「生産しなければ解雇」であるべきです。結果に対する責任こそが真の自由裏付けとしては不可欠なものです。

日本では、「結果が出なくても残業していれば許される」というルールで運用されてきました。これは、時間を売り渡す代わりに居場所を得る行為です。

残業を減らし、労働環境を改善するためには、会社の業績が良好であることが大前提であり、「結果を出して帰る」という自由と責任をセットで行使する勇気と実力が必要です。

それを良しとせず、落ちこぼれもエースも同等に扱うのであれば、残業によって生産性の低さをカバーし、カバーしきれなくても「終電までいてもできないならしょうがない」という最低な理由の許しを得るという社会システムに傾けるより他になく、それは、現在の日本の現状です。

ソビエト連邦が崩壊したのは、労働者の生産性が著しく低かったことも大きな要因だと思いますが、今の日本でも同様の現象が起こっています。

皆を(生産性に対してではなく時間的に)平等に扱うシステムは、どうやったって生産性の低下とモラルの低下を引き起こします。

今のぬるま湯の労働環境を手放さない限り、社会制度を変革することは不可能です。

あまりに多くの人が、あまりに長い期間、ぬるま湯に浸りきってしまいました。

このまま干からびて死を迎えるか、国家崩壊レベルの大きなショックがなければ、制度改革というのも難しいでしょうが、冷蔵庫の中の野菜が萎びていくのを座して観るより他にないような無力感を感じます。

Amazon Dash Buttonをエマージェンシーコールボタンにしてみた

JavaScript ガジェット プログラミング amazon

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キュキュット Dash Button

キュキュット Dash Button

エリエール Dash Button

エリエール Dash Button

さて、昨年末に日本で発売された Amazon Dash Button ですが、「どうやらハックできるらしい」ということを知って、買ってみました。

本当は、12月に買ってあったのですが、色々忙しくて三ヶ月ほど放置していましたが、「エマージェンシーコールが欲しいな」と思い、簡単なハックをしました。

直接のきっかけはコレ。

東京の自宅に四歳の息子がいて、自分は酒田に居ることが多いため、母親(かみさん)が倒れると、この漫画の状況になります。

これは泣ける。

ということで、今回実現したい仕様は「Amazon Dash Button が押されたら特定のアドレスにメールが届く」です。

簡単そうですね。

主に参考にしたのは、この記事です。

qiita.com

実際には、こちらの記事でも使用している「node-dash-button」というライブラリを使用しました。

動作原理

上記の記事にもありますが、簡単に動作原理を説明します。

前提

Amazon Dash Button は、初期設定でWifiの接続設定を行うようにできており、ボタンを押すと、インターネット経由でアマゾンに1-Click注文処理を投げます。node-dash-buttonは、この時の通信を「傍受」して別の処理を行います。Amazon Dash Button には一切修正を入れずにButtonが押された時の処理を定義できます。ただし1-Click注文を未設定状態にしておかないと、「注文されます」(^^;

動作

  1. Amazon Dash Button を押すとネットワークの接続を確認するため信号(arp probe)が出ます
  2. この信号を監視するサーバーを立てておき、この信号をリアルタイムに検知します
  3. MACアドレスによって、特定の Amazon Dash Button であることが判定可能なので、特定のMACアドレスから信号が来たら定められていたアクションを行います

原理は簡単で、「node-dash-button」は、dash-buttonという名前がついていますが、他のネットワーク機器(スマホやPC)でも、接続されたときにアクションを定義できるはずです。^^;

Amazon Dash Button の設定

Amazon.co.jp ヘルプ: Dash Buttonの設定を管理する

こちらの設定ページの通り設定します。ただし、最後の商品選択のところで、処理をやめて放置します。^^;

最後まで設定してしまうと、もちろん 商品が届きます

と、ここまで書いてて思ったのですが、「商品が届いてしまう」という副作用を無視すれば、アマゾンから注文メールが届くので、無改造で「エマージェンシーコール」として機能するな。

子供に持たせる場合、誤操作で商品が届くとちょっとアレですが。^^;

Amazon Dash Button のMACアドレスを知る

Amazon Dash Button のMACアドレスを調べるのはそこそこダルいですね。

僕は、node-dash-buttonを起動して、表示されるMACアドレスを使いました。

以下のような手順です。

git clone https://github.com/hortinstein/node-dash-button.git
cd node-dash-button
npm install
sudo /path/to/node/node/bin/node bin/findbutton

sudoが必要なので、nodeのパスを絶対パス指定しないと動かないと思います。

こんな感じのログが表示されます。

Possible dash hardware address detected: 34:d2:70:6f:e5:c0 Manufacturer: unknown Protocol: udp
Possible dash hardware address detected: 34:d2:70:6f:e5:c0 Manufacturer: unknown Protocol: arp
Possible dash hardware address detected: ac:63:be:9a:29:3d Manufacturer: Amazon Technologies Inc. Protocol: udp
Possible dash hardware address detected: ac:63:be:9a:29:3d Manufacturer: Amazon Technologies Inc. Protocol: arp

ボタンの機体によって、プロトコルの表示が違うのは謎です。

実施

さて、準備はこんなもんなので、プログラムを書いて「node-dash-button」と「Nodemailer」を使って、ボタンが押されたら特定のアドレスにメールが届くようしてみました。

github.com

注意点としては、ARPを監視するため、 管理者権限で実行しないといけない ということです。

そして、ARP監視に、「libpcap-dev」を利用するため、MacやWindowsでは動かないと思います。VMを立てるか、Linux(Debian系が良いと思う。僕はUbuntuでやりました)を利用しましょう。

あと、Nodemailerが、Node.js V6.x以降でないと動かないので、パッケージから入れたnode.jsでは動かないと思います。本家のサイトから最新版をDLしてきて入れましょう。

npm install
sudo /path/to/node/bin/node main.js

とするだけで動きます。

main.jsの中身も相当ベタに書いてあるので、難しいことはないと思います。^^;

fromのメールアドレスや、Amazon Dash Button のMacアドレスの部分は書き換えてください。

一応、動作確認したときに届いたメールのスクショを貼っておきます。

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読書感想文「残された山靴」を読んで

読書

残された山靴―佐瀬稔遺稿集

残された山靴―佐瀬稔遺稿集

すごい本を読んでしまった。

この本は、山で亡くなった人たちのエピソードを集めた本です。

といっても、休日の趣味で山歩きをしていて運悪く遭難してしまった人を対象としているわけではなく、8000メートル級の山々に無酸素で登頂してしまうようなガチの登山家たちのお話です。

彼(彼女)らが、どのように山に魅せられ、どのように山に引き込まれ、「死んで当然」と思えるような極めて過酷な状況下に身を投じ、そして、どのような最後を迎えたのか。

本人の手記や、関係者の証言から書き起こしたノンフィクション作品です。

そして、この本の副題に「佐瀬稔遺稿集」とあるように、著者である佐瀬氏の闘病生活と最後をつづる文章が、終章として挿し込まれています。

登場する登山家たちは、山を志す人にとっては、伝説的なビッグネームなんだと思いますが、不勉強なため、僕は一人として知りませんでした。

全員に共通している点は、人が存在することを許されない極限状態の死と氷の世界において、削れていく自分の生命を見つめることで見いだせる生の輝きに、どうしようもなく魅入られてしまっていたということです。

次々と現れる8人の登場人物は、お互いに面識があり、誰かの死の現場に別の誰かが立っていたりします。そして、その本人も程なくして同じように命を落とします。

まるで切れ味の鋭いナイフを素手で握ってしまったかのような、衝撃と痛みが心に走りました。

「入念な準備と数々の死地をくぐり抜けてきたベテランが、頂上を間近にして雪崩に飲まれる」

「世界の大陸で、その最高峰を手中に収めてきた堅実な登山家が、最後の最高峰、エベレストの頂きに立った後、一瞬の天候の変化に為す術なく冷たい骸となる」

「華々しい経歴と名声を引っさげて登山するライバルに、狂おしいほど嫉妬して、単独登頂を目指して滑落。命を落とした登山家。そして、彼が嫉妬に狂った栄光の登山家も、数年後には山にその魂を捧げることになる」

彼ら登山家たちが紡いだ物語は、とても美しい輝きを放つ繊細なガラス細工を思わせる、生と死の物語です。

死を伴う危険な挑戦は、命をギリギリまで死の瀬戸際に晒しながら、こうも光り輝くものなのでしょうか?

それは、命そのもの輝きであるとしか言いようがありません。

きっと、彼らの目には、山々の頂が、神々しく美しい輝きを放って見えていたのでしょう。

そして、最後にこの壮絶な山の物語を書いた、筆者本人も癌に侵され、壮絶な闘病生活を送ります。

日々、弱っていく体と戦いながら、執筆やラジオへの出演を続け、最後に「それでも登る 命が輝き放つまで」というコラムで人生を締めくくります。

彼もまた、削れゆく魂を見つめながら、光り輝く生を実感した冒険家の一人だったのでしょう。

ブッダは誰も救わない。君が勝手に助かるだけだよ

セカイノカタチ 仏教

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昨日は、土門拳記念館に行きました。

そこには、非常に美しく芸術性の高い仏像の写真が何点か展示されていました。どれも、畳一畳分以上の大写しにされた写真で、確かな技術で撮影されたそれは、細部まで高精細に描写されており、ライティングや構図も恐らく「ここしかない」ポイントを外さずに、仏像を最高の状態で写真に封入した作品なのだと思えました。

土門拳は、ポートレートや子どもたちの笑顔、風景などを撮影していましたが、後年は仏像の撮影にこだわっていたようです。

大写しにされた仏像からは、それを彫った職人さんのひと彫りひと彫りの想いや祈り、気迫や魂のようなものが伝わってきました。そして、それをこのような形で芸術的な写真に収めた土門拳の気迫も、僕を圧倒するには十分すぎるものでした。

反面、その芸術性が高すぎるゆえに、僕の心に去来するものがあったことも確かです。

仏教、もしくはブッダの仏教は、人々に救済を与えるような性質のものではありません。

もちろん、仏教自体様々な宗派に分かれ、長い歴史とともに様々な教えや修行が実践されてきましたので、それらの解釈や、偉大な先人たちが魂を込めて説いてきた教義に相対するような勇気は僕にはありません。なのでハナから及び腰ですが、これから述べることは、僕自身の解釈と思索を辿るだけの文章で、それ以上でもそれ以下でもありません。

逆に言うと、仏教や宗教という巨大な思想や膨大な経典に対して、個人の見解以上の事を言える人物もこの世に居ないと思いますので、すべてはそれぞれの意見だと言えるでしょう。オピニオンの集合こそが仏教の本質的な特性なのだと思います。

さて、話がそれましたが、仏教は、人々を超常的な力で外側から強制的に救済してくれるような力を持ちません。あくまで個々人の能力において、正しく修行して、自分の力で「悟りの境地」であるところの涅槃を目指すという考え方が根底にあり、そのためにどういう行動や智識が必要なのかについて、解説しサポートしてくれる宗教です。

仏教が執着を捨て涅槃を目指す人々の集団なのだとすると、仏像に祈るという行為は何の意味も持ちません。それよりも、樹下に腰を下ろし瞑想をしたほうが、よっぽど彼岸に渡る手助けになるでしょう。

「如実知見」は、あるがままに物事を見るという、仏教の基本的なスキルです。これを身につけるために、僧達は瞑想を行い、経験値を積みます。経験値を積みレベルが上がるとスキルポイントが得られるので、それを割り振ることで異能力が得られるわけです(嘘です)。

「如実知見」スキルを発動すると、職人たちが魂を削り、命をかけて磨き上げた仏像は、それがどんなに美しく芸術的であろうとも、木像であれば木材に見えますし、石像であれば石塊、土像であれば土塊に見えるわけです。

木材や石塊や土塊に手を合わせて祈ったところで何も起きません。

仏教の文脈を素直に解釈するならば、そのようにしか読めないのです。

もし、そうではなくて、祈ることで何かが起こる世界だったとしたら、どうでしょう?

仏様が無限の慈悲の心で、我々に救済を与えてくれるとしたら?

仏教の「悟り=救済」として、仏様が超常的な力で救済を与えてくれるとすると、即座に悟りの境地に達することができるという事になります。

強制的にすべての執着(つまり煩悩)を解除され、それまで祈りを捧げていた仏像が石ころであったことを知り、恐らく祈っていた「幸せになりたい」とか「健康になりたい」とかいう思いは色を失い、仕事も恋愛も健康も富も老いも死をも超越し、世俗との接点を失った「悟った人」になるわけです。

元から涅槃を目指して修行をしていた出家者であれば、存外の幸せ(?)であろうとは思いますが、我々世俗の人間にとってはショックが大きいんじゃないかと思います。

なんせ「幸せ」を祈りに来たら、幸せの概念そのものを破壊することで、幸せになる必要性を無くしてしまうという拡大解法にて問題を根本治癒してしまうわけですから。

漫画なんかで言うと、「くくく。救済が欲しいか?ならば与えてやろう!!!悟りという名の救済をな!」と主人公を廃人にする悪の総統的な役回りです。

ブッダは悟りを得た際に、それがあまりに直感に背くことを危惧し、民衆に説法するべきか迷いました。そして、一旦は誰にも知らさずに、自らの心の内にとどめることを選びます。

それは、ブッダの悟りがあまりに逆説的で、一般の人々の理解を得られないだろうと考えたからです。

ブッダとしても自分の得た真理が真理であることに揺ぎない確信を得てはいたものの、大衆に受け入れられる思想であるとはまったく思っていなかったようです。

真理は直感に逆らいます。

ちょっと話題がそれますが、僕はあらゆる点において、真理というのは人々の直感に逆らうものだと思っています。

自然科学の世界であれば、天動説や無理数に始まり、リンゴが地球を引っ張るニュートン力学、空間や時間がぐにゃぐにゃ歪む相対性理論や、波動の収束によって時間的な因果を遡るように見える量子論など、科学の歴史はその当時の人々の直感的な理解に逆らい続ける歴史でした。

プログラミングの世界でも、テストファーストやインクリメンタル開発などの失敗を許容する文化は、頭のお硬いお偉いさん方の直感に逆らい続け、スタートアップの世界でもクレイジーで誰もが失敗を確信するアイデアでなければ上手く行きません*1

そして仏教です。

幸せや愛情から手を離すことで、至高の静寂を得るというブッダの思想は、逆説的で人々の直感から離れます。

ぱっと見、理解しがたい難解な哲学です。

それにもかかわらず、ブッダの教えは、それを理解し実践する人々の共感を得て、世界に広まりました。

しかし、「直感から離れることが出来る人がいる」ということと、「人々が直感から離れ続けることが出来る」ということは、大きく違います。

仏教が世界中に寺院を持ち、数知れないほどの仏像を建立してきた歴史は、人々が直感から離れ続けることが出来なかったということの証左のように思えます。

人々は、寺院を建て仏像を建て祈りを捧げます。

それは、非常に直感的な振る舞いで、神様仏様に「すがる」という行為自体、人間の認知の根幹に根を下ろした、文化的な営みであることは間違いありません。

キリスト教や神道であれば、何の問題もない、むしろ礼賛されるべき事柄でしょう。

しかし、仏教にとって仏像に祈るという行為は、根本に大きな矛盾を孕んでいます。

上記の通り、土塊に祈ることが、何の意味も成さないだけでなく、純粋な悟りへ向かうには恐らく邪魔になるからです。

これが、許容され、拡大され、伝播していき、人々の支持を得てきたということは非常に興味深い事実です。

そして、冒頭の土門拳の写真に心動かされることも紛れもない事実であり、仏像や芸術が、人の心の本質的なところを揺り動かす、大きな力を持ってることには疑いの余地がありません。

ですが、悲しいことに、この気持ちには出口と呼べるものが存在しません。

美しさを美しく思う心は、如実知見では無いからです。

出口に蓋をされ、ぐるぐると渦巻く魂の行く先はどこにあるのでしょうか?

直感に反し、問題を根本的に根こそぎ押し流してしまうという拡大解法を採るブッダの言葉には、人々の魂を永遠にめぐる輪廻の呪縛から解放しようという無限の慈悲と、それがもたらす苦悩のない素晴らしき異世界が示されています。

人間の直感に反する無垢なる新世界。その世界には仏像は無いのです。

人間の感情や欲望は、矛盾やパラドックスやジレンマに満ちていて、無矛盾なゴールを設定するためには、幸せの定義を根本からひっくり返す必要がありました。しかし、その答えが、また矛盾とパラドックスとジレンマを産み出しています。

世界は多層的に成り立っていて、ひとつ世界での解答が、より高次の世界の問題を生み出しています。

そういう構造をしている以上、問題と同じカテゴリーのなかで産み出される答えには、自ずと限界が生じます。

ブッダの言葉も例外ではなく、矛盾やパラドックスやジレンマを内包する仕組みである以上、解釈を続けるほどに「問い」が増えていき、問いこそが本質であるほどに新たな苦悩を産み出していきます。

答えの数より、問いのほうが常に多いという構造をしているのです。

今回の話は、なんの答えも導きません。

ただ、問いがあるだけです。

それこそが、ありのままのセカイノカタチなのかもしれません。

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*1:僕ぐらいのひねくれ者になると、何かの言説を聞いた時にそれが直感に逆らって、今までの価値観を根本的にひっくり返すような発想でなければ「本質的でないな」と考えてしまいます。これは逆説中毒の症状なので、そこまで至らないよう気をつけたほうが良いかもしれません

友達という名の喫茶店

写真 生活 酒田 おでかけ 山形

日曜日なので、酒田市の市街を散歩していて良い店を発見しました。

酒田市総合文化センターの近くにある「フレンド」という喫茶店です。

朝方発見して良さそうだったので、さっそくランチを食べに行ってみました。

店の前に「ナポリタン」や「カツカレー」などの蠱惑的なメニューが並んでいたので、ワクワクして入ったのですが、実はランチメニューは日替わりで今日は「ポトフ」の日でした。

店主に「カツカレーは無いんですか?」と聞いてみたところ、「個人で手作りでやっているので色々メニューを用意することが出来ないんです。すいません」とのことで、手間ひまかけて仕込みをしている意気込みみたいなものを感じ、むしろ心強い感じでした。

とは言え、後から入ってきた隣の客も同じ質問を店主にしていましたので、もうちょっと店頭の掲示を工夫したほうが良いかもしれませんね。^^;

それはともあれ、ポトフ。

なんともおしゃれな響きです。男所帯のチェンジ・ザ・ワールドでは、ついぞ耳にしない単語です。そこはかとなく体に良さそうな、健康になりそうな雰囲気を感じます。

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これは、「ポトフ」一択だろおおおおおおおJK!!!!!

と、ポトフを頼んでみました。器も盛り付けもおしゃれで丁寧です。きっと、採算もあまり気にしてないんでしょう。

野菜がゴロゴロ入っていて、いかにも体に良さそうです。手前のキャベツはなんとロールキャベツです。

肝心の味の方はというと・・・。

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さっき、ポトフを頼んだと言ったな。

あれは嘘だ。

上の写真は、一緒に食べに行ったチェンジ・ザ・ワールドのJKこと坂田くんのポトフです。「日曜の昼下がりにポトフを食べるおしゃれな自分」を演出するために、Facebookにはポトフの写真をアップしといたので色々大丈夫なはずです。

僕は、もう一つの限定メニュー(!!)「ピザトースト」にどうしょうもなく惹かれ、ポトフを裏切ってしまいました。ごめんねポトフ。僕は健康にはなれそうもないよ。

喫茶店のピザトーストって、なんでこうも魅力的なんでしょうか。まるで、ウツボカズラのように僕の心を魅了する甘い香りを放っています。

味は、期待通りの「喫茶店のピザトースト」中の上って感じでした。分厚いトーストは、フワフワでカリサクっとしており、たっぷりの具材とチーズでトーストの厚みが倍になっているように見えます。

過不足無く適切な素材と配分で仕立てられた上質なスーツのように、控えめであっても、その場にふさわしくマッチする能力を備えたそれは、日曜のランチに喫茶店で食べるピザトーストの中では最高の出来だったと思います。満足。

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そして、問題はデザートです。

ドリンクには、当然コーヒーを選択しました。

坂田くんは「マンゴージュース」を選んで後悔していました(かれはいささか可哀想な子なのです)。

甘いものとして、ガトーショコラとリンゴのシャーベットをヨーグルトに乗せたものが付属します。

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このリンゴのシャーベットが「ヤバイ」。

僕はアップルパイが好きなので、この林檎を甘く煮たものがとても好きなのですが、このリンゴは、しっかりと甘い中にほのかにレモンの香りがして、それがシャクシャクのシャーベットになっているというクオリティの高いもので、食べていると底の方に仕込まれたヨーグルトが顔を出し、その酸味と合わさった時に最高のパフォーマンスを発揮する背徳的はほど美味しいデザートでした。

最高や。

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ランチはすべて980円です。

充実した内容を考えると、お得感しかありません。

日替わりメニューが記されたカレンダーカードをレジの脇に見つけたので、ミートソースやナポリタンやカツカレーをゲットしに、ちょいちょい通うことを決意した日曜の午後でした。

サカサマのパテマ(映画感想文)

映画 アニメ

サカサマのパテマ

サカサマのパテマ

長編アニメ映画の「サカサマのパテマ」を観ました。Huluです。

Huluは、映画を見ていると自動的に適当な作品を連続再生するのですが、それでなんとなく再生されたので最後まで観てみました。

重力が逆さまになっている人達が地下に住んでいて、そこの少女と地上に住む少年との冒険譚です。

地上はジョージ・オーウェルの1984的な管理社会となっており、地下社会は保守的に掟を守る人達で、この2つの世界はお互いを伝承レベルでしか認識しておらず、主人公たちが偶然にも巡り合うことで、お互いの世界の衝突が生じるという背景です。

世界観の設定とキャラクターデザインは良い感じで、主人公のパテマもかわいいです。

しかし、プロットが薄くて退屈なので、映画全体としては駄作です。

これは、単純に作品作りの技術的な問題なんだと思います。

世界や物語がありふれていても、プロットが綿密に練られていて退屈しない「ラ・ラ・ランド」の様な作品もありますし。

良く言われますが、アメリカの映画・ドラマはプロットが綿密で視聴者を飽きさせない展開に命を掛けている感じがあります。それに対して、日本の作品では、(アニメ実写にかかわらず)プロットが弱いように思えます。世界観とかストーリーとかキャラクターに目が行き過ぎているのでしょうか?視聴者に退屈な時間を過ごさせることを怖れないようです。

まあ、そんなことを思わせる作品でした。