セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

そろそろネット民VS一般人という対立構造を想定するのやめないか?

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芸能人(及び非芸能人)が、炎上する度に「ネット民が」とか「ネットで炎上」とか、「必死にパソコンを打つ」とか言うステレオタイプを想定して、見えない民族に対する怒りをぶちまけるわけですが。

そろそろ、そういうのやめにしませんか?

今時、インターネットの恩恵に預かっていない人も珍しいと思いますし、勿論その中に叩いている人間も含まれるわけですが、キーボードではなくスマホのフリックを使っている可能性が非常に高いです。

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ひょっとして、こういう人を想像していますよね?

古い。

ダサい。

ありえない。

というか、もはやメディアとして紙や放送を凌駕する存在であるインターネットに対して「インターネットの」という枕詞をつけること自体、ナンセンスで、その論調で持論を展開するということは、すなわち「日本国民を敵に回して一人相撲を取ることになる」ということに気が付かないのでしょうか?

そして、その持論とやらもブログを使って、インターネットを介して発信するって、どんなジョークなんでしょうか?

テレビを主戦場とするマスメディアに身を置く人間として、インターネットの存在を矮小化したいという根底のイデオロギーがあることはやむ無しかもしれませんが、いたずらに大きな主語を取って、それを叩くというのは、不必要に敵を増やすだけなんじゃないかなと思います。

今回の件に関しては、炎上の元となった記事に対して、これからの少子高齢化社会に向けて、必要な取捨選択について警鐘を鳴らすという意味では、叩くほどの不謹慎さは無いと思いますが、無意味に攻撃的な言葉を使い、相手を貶める手法を取ったというのは、この人が敵視している「ネット民」とやらと同じ手法を使い、立ち回りをミスって敗れたというだけの話で、同じ土俵で同じムジナが相撲を取って、弱いほうが負けたというだけの話のようにも聞こえます。

もうちょっと、上手くやれよ。

負けたからって、自分がそこに属さないような顔をして「ネット民」に対して負け惜しみを言うのはカッコ悪いよ。

て思いました。