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セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

マーブルワーズ

読書感想文「ギャンブル依存症」

考察 読書 麻雀

ギャンブル依存症 (角川新書)

ギャンブル依存症 (角川新書)

知り合いの奥さんが書いた本です。

僕自身は、臆病な性格なのと極度に負けるのが嫌いなので「負ける可能性がある」と思うだけで足が遠のくタイプなのですが、麻雀放浪記や雀鬼桜井章一など、ギャンブラー的な生き様は大好きで、よく小説や漫画を読んでいました。

本書の主題は、ギャンブル依存症についてです。ストレート過ぎるタイトルが素敵だと思います。

内容は、ギャンブル依存症という病気についての説明から始まり、事例紹介、回復への道筋の付け方、海外での取り組みなどデータを交えて丁寧に書かれており、著者のギャンブル依存症への思いと日頃の真摯な取り組みが行間からにじみ出てくる内容になっています。

タイトルを読書感想文としましたが、「本を読んで感想を書く」という行為が性に合わないみたいなので(おい)、以下は依存症についての雑感です。

依存症

僕は、依存症というのは、人間の脳の持つ本質的な働きの延長線上にあると思います。

そのため、○○依存症というような個別の議論を行う前に、「依存症」そのものに対する議論が必要かと思います。

こちらの本にも出てきますが、依存症は「ドーパミンの分泌」と大きく関わりがあります。

ドーパミンとは快楽を呼び起こす脳内物質で、コカインなどの麻薬はそもそもドーパミンを真似する、もしくは分泌させる事で快楽を惹起します。

人が麻薬中毒に陥るように、ドーパミンを分泌させるスイッチさえあれば、何でも「中毒」状態を引き起こすことが可能なわけです。

その前提があったうえで、依存症に目を落とすと、ギャンブル、アルコール、ネットゲーム、セックス、暴力、様々な依存症の姿は、根本を同じとした脳の働きの一形態でしかないように思えます。

更に言うならば、マラソンや登山、釣りなど、健全とされるレジャーやスポーツにおいても同じ働きが見て取れるのではないでしょうか。

そうすると、もはやどこまでが「依存症」でどこまでが「熱中」や「中毒」なのか、境目がはっきりとしなくなってきます。

極端に言えば、脳の働きとは「依存」の一形態に過ぎないということです。

ただ、全ての「依存」が同様に危険かというと、ドーパミンを放出するトリガーとそれがつながっていく社会性が特性となって、影響と結果に大きな差が出てきます。

「切手集め」をトリガーとした場合、恐らく危険性は低いと思います。

「殺人」や「食人」がトリガーだった場合、非常に危険な依存症と言えるでしょう。

ギャンブル依存症

話を戻して、ギャンブル依存症ですが、本書を読んでも感じましたが、トリガーが引き起こす結果の悲惨さから、かなりの危険種と言えます。

ギャンブルの主たる対象物はお金です。

お金というのは、人間の知性や社会性と深い所で結びついています。

それ自身は、ただの紙切れや金属片、果てはコンピュータ上の数字ですが、実態は「信用」です。

人間が群れで生活する上で欠かせない、集団性を司る本能と直結した象徴的な存在。

それが「お金」なのです。

それを「掛ける」という行為自体に本能的な興奮があることは間違いないと思います。

それ故、深く脳の中枢を刺激するのだともいます。

僕の好きな小説に阿佐田哲也先生の「ドサ健ばくち地獄」という本があります。

様々な登場人物が次々現れては本気の博打をし*1、破綻しては消えていきます。

最後に残った筋金入りの博打打ち達も全存在を掛けて博打に興じ、最後はお互いにいくらやってもとどめを刺せないと悟って勝負をやめます。

その時に残ったお金を数えるのですが、あれほど沢山のお金を動かしたのにもかかわらず、最後まで生き残った数人の手元に残ったのは、数えるほどのはした金だけだったというオチです。

明らかにギャンブル依存症の末期だと思いますが、彼らが掛けていたのはもはやお金ではなく「存在そのもの」でした。お金はその媒介に過ぎません。

彼らをそこまで追い込むのは、背後に控える集団としての本能でしょう。

それだけに、深い傷を負います。

物語であればそこで話は終わり、その先のことは語られませんが、現実社会では、そういう人達にも明日が来ます。

多くの借金をして、家族にも見放され、心にも深い傷を負った人が再び立ち上がり歩き出せるようになるために何が必要なのか。

そういうことを考える必要があり、現に考えて行動している人達がいるということを本書によって知りました。

依存症の回復

依存症の原因が、異常な脳内物質の分泌に暴露された結果だとすると、残念ながら「依存症以前」への回復は難しいでしょう。

本書でもそのことは「タクワンは大根には戻らない」という言葉を引用して述べています。

とはいえ、本当にひどい状態からは、ある程度短期間で回復するようなので、その後もカウンセリングやグループワークの継続を行い、原因となるギャンブルに近寄らなければ、何ら問題なく社会生活を送れるのだと思います。

また、別の見方としては、依存症が脳の健全な活動の延長線上にあることを思えば、別の依存への転換も可能ではないかと思います。

というか、人間何かしらに依存して生きる生き物だと思いますので、「全ての依存を断つ」なんてことは不可能なわけです。

比較的安全で、周りに害さないような依存に切り替えることや、複数の依存に分散してしまって、一つのことにのめり込むことを抑制するなどというやり方もあるんじゃないかと思いました。

自分は、最近カメラ依存が激しくて、レンズ沼が・・・。物欲が・・・・。

*1:彼らの間では「ころしっこ」という