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セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

マーブルワーズ

初期仏教に興味を持ったのでブッダの本を読んでいた(読書感想文)

自己啓発 セカイノカタチ 考察

最近、ブッダの本を読んでいました。

きっかけは、この本です。

図解 ブッダの教え (歴史がおもしろいシリーズ!)

図解 ブッダの教え (歴史がおもしろいシリーズ!)

Kindleのセールで、100円で買いました。ブッダの生涯や教えについて、わかりやすく図解で教えてくれるという素晴らしく良い本でした。

そして、仏教というのが、他の宗教と違い、死後の世界や神という概念を持たないという点について、非常に興味を持ち、もう少し詳しく知るために、何冊かの本を読み込みました。

ブッダの言葉

ブッダの言葉

この本ですが、図書館で借りることができました。次の本も同じく「ブッダのことば」という本なのですが、本書は、次の本から、ブッダの詩を何篇か抜き出し、見開きの写真とともに掲載してあります。

写真は全て、仏教発祥の地である、インドの幻想的な情景と、仏教徒たちの生活風景からなります。

ブッダの言葉の解説というよりは、文字と絵による世界観の共有を目的とした本です。

文字数は少なく、ブッダの言葉が、心に染み入ります。

イメージで物事の全体像を捉えるというのは、案外重要な事だと思いますので、このような形で仏教の生まれた背景と世界観をわかりやすく伝えてくれるのはありがたいことです。

次の本は、ぎっしりと文字が詰め込まれていますので、先にこちらを読んだことは、次の本の理解を進める上で助けになったと思います。

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

前書の原典です。なんと出版は、1958年です。

当初、上の本は、この本の改訂版なのだと思っていたのですが、ぜんぜん違う本でした。ちなみに、この「ブッダの言葉」という名前の本ですが、キャッチーなネーミングのせいか、凄くいっぱいあります。それぞれ別の本みたいです。「おいしい牛乳」みたいなもんですね。

本書ですが、1149篇の詩と散文からなります。文庫本なのですが、なんと半分は解説です。

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こんな感じで、この付箋から先は本編で出てきた用語や、背景説明にあてられています。

凄く充実していてありがたいのですが、図書館の貸出期限がありましたので、解説はほとんど読んでないです。(^^;

ブッダが教えた「業(カルマ)」の真実 初期仏教の本

ブッダが教えた「業(カルマ)」の真実 初期仏教の本

  • 作者: アルボムッレ・スマナサーラ
  • 出版社/メーカー: 宗教法人日本テーラワーダ仏教協会
  • 発売日: 2014/01/13
  • メディア: Kindle版
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そして、最後に読んだのがこちらの本です。

仏教の研究者による解説ですね。上2つは、直接経典を訳したものなので、解釈や解説といったことは書いてないのですが、こちらは逆に、ブッダの言葉は出てこず、考え方の解説に尽きます。

Kindle unlimitedで読んだのですが、unlimitedを解約してしまったのでもう読めません。直接買っても300円なのでまた買うかもですが。

業(カルマ)や、善行為悪行為についての解説です。後半はQA方式になっていました。

ブッダの教えとは何なのか?

本を4冊読んだ程度で、仏教全体について語るのはあまりにもおこがましいと思いますので、今回読んだ中で感じたことを書きます*1

まず、ブッダが目指す先として示したのは、全ての執着から離れ、業から脱却した先にある、安らかなる涅槃(ニルヴァーナ)です。

最終地点(彼岸)を目指すことと彼岸に到達することを教義として、そのために必要な考え方や鍛え方について語っているのです。

ブッダは、神による救済を説きません。

ひたすら、静かな郊外の森などで自分自身と向き合う事を説くのみです。

そうして、世界をなす濁流を渡り終えることによって得られるご褒美は、入滅です。

つまり、存在が消滅するということです。

再び迷いの生を受けることなく、業(カルマ)の外に解脱するということです。

最高到達地点が、消滅とはなんという哲学的な宗教なのでしょうか。

恐らくですが、信徒の方がこの考え方に耐え切れなくなって、すぐに天国という概念が導入されたのだと思います。

ブッダの直接の言葉からは、「天国」や「死後の世界」という概念はほとんどうかがい知ることができません。

そもそも、「悟り」に達したならば、煩悩や自我への執着は消え去りますので、天国に行く必要も幸せになる必要もありません。

後は消え去るのみなのです。

仏教は、唯物論的な宗教なのです。

しかし、普通の信徒からすると、そこまでの悟りに向かう前に心折れてしまうでしょう。

それで、大衆向けにわかりやすい天国や祈りの対象としての仏様がしつらえられたのしょう。

それだけ、初期仏教の言うのは、純粋で恐ろしく切れ味の鋭い教義をもった宗教だったのだと思います。

自分の考え

自分は、死後の世界や霊魂などの存在については否定的なので、この考え方に強く共感を覚えました。

一方で、執着を捨て去ることで悟りを開くという考え方には、賛同できません。

これは、人生の波を穏やかにしていって、最終的にゼロに到達することで悟りを得るという、一種のミニマリスト的な考え方だと捉えられます。

人生が、真に一度きりである以上、執着しようが煩悩に溺れようが生は生です。自ら世界との関わりを希薄にしていくような生き方は、後悔を産むと信じています。

それよりも、自分の中で「最も価値がある」と信じられるものを大義として、自分の座る場所を決めることです。

そこから、その大義を中心として自分を滅していきます。

最後は、大義と一体化することが悟りです。

能動的に世界とのかかわり合いを持ち、その中で涅槃による悟りと同等の状態まで自身を持っていくことができる。

それこそが、僕の信じるセカイノカタチです。

*1:一部断言調で書きますが、個人の感想です(^^;