セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

時間×光速による「認知の球」

光速というのは、「速度の限界」という理解をしていると思いますが、正しくありません。

光速というのは、「情報伝達の限界」を表して言います。

qtamaki.hatenablog.com

こちらでも書きましたが、「情報=物理現象」ですので、物理現象の伝達の限界でもあります。

光速という呼称は、紛らわしさを含んでいて、光が光速で動くのは質量が0(ゼロ)だからです。

単純に考えると、運動速度は質量に対しどれだけ力を加えたかで表されるので、物体の質量を減らしていくと、運動スピードは早くなっていきます。

どんどん減らしていって、質量が0になった時に、光と同じ速度になりますが、係数の1つがゼロであるため、かかる力がゼロでない限り、光速以下の運動速度を取ることも出来ません。

現実世界で、力をゼロにすることは不可能ですので、光は必ずどこかの方向に運動する形で私たちに観測されます。

逆に言うと、「質量>0」の場合、どんなに力を加えても光速には到達しないという事で、「速度の限界」といういいか方は厳密には正しくありません(「物質の速度<光速」となるため)。

仮に全宇宙の質量が一点に集中したとしても、光速に到達しないという事になります(「1点」の面積を厳密にゼロにすれば光速になります)。

この絶対的檻としての「情報伝達の限界」ですが、私達の認知を基準として考えると、ある事象が起きた時に「対象秒数×30万Km」の球体の外で起きたことは認知することが出来ません。

どうやっても知ることが出来ないのです。

これが私達にとっての認知の限界です。

qtamaki.hatenablog.com

この記事で言うと「地球の裏側の対戦相手のゲームプレイヤーがどのコマンドを入力したか?」という情報が伝達するためには、少なくとも認知の球が相手のところまで到達するだけの時間が必要だということです(この場合30msec)。

もちろん予測することは出来ます。8分19秒前の太陽を観察することによって、現在の太陽の位置をほぼ正確に予測することはできるでしょうが、実際に観測するためには、8分19秒待つ必要があります。

実際にその時に何が起こったか、観測することは出来ないのです。

それどころか、時間を短くしていくと観測できる距離も小さくなり、最後にはゼロになります。

どんなに短い時間でも、どんなに近い距離でも「認知の球」を避けることは出来ないため、「厳密な観測」は存在しないことになりす。

量子力学によれば、観測できない物体の振る舞いは「不確定」となりますので、私達の世界は「不確定」な振る舞いをしていることが「常態」という事になります。

量子の不確定性というのは、マクロな世界に住む私達には、通常は無視できる程度のものですが、カオス理論もありますし、不確定性が増大してくると(時間とともに不確定な領域が増えていき不確定性もそれに伴い増大します)、相対性理論的なスケールの世界にも影響を及ぼす可能性があります。

それどころか、私達の認知の限界点を示す、ビッグバンを中心とした、球体は真の意味での「認知の球」と同義となり、その外にあるものは、不確定性が無限大に増大するため、何が起こっているか全く予想ができませんし、そもそもどうやっても認知できないので存在しないのと同義になります。

そう考えると、光速というのは、光の速度でも速度の限界でもなく、この世界を構成する根源的な役割を担った定数なのです。

光速によって全ての認知や質量や運動や物理現象が規定され、調和を保っている。

セカイはそんなカタチをしているのだと思います。

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