セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

属人性のジレンマについて

先日、ツイッターで見かけた話題に対してちょっとコメントしたのですが、属人性にはジレンマがあります。

近年、シリコンバレーのエンジニアたちの高給が取り沙汰さ、世界中の羨望を集めています。彼らは、決して「誰にでも出来る仕事」しに西海岸に集まっているわけではなく、自分にしか出来ない「世界最高峰の仕事」をするために集まっているわけです。

そんな彼らに、西海岸のベンチャー企業は、数千万の年俸を支払い、その原資として投資家たちがお金を支払い、数多くの失敗の中から莫大な富を生み出すユニコーンが現れて投資家たちを潤すという循環をしています。

この循環は、日本の経営者が好んで用いる「仕事をマニュアル化して、誰にでも出来る仕事を増やして、人件費を下げてコストを下げる」という循環とはまったく逆の循環のように見えます。

アメリカや中国を含め、世界中で人件費の高騰とともに生産性が向上していく中、デフレスパイラルに陥り、先進国の中でひとり最低の生産性に喘いでいるのは何故でしょうか?

「属人性を排する」という行動は、様々なジレンマを抱えており、ぱっと見良さそうに見える、その見た目ほどには、良い考え方では無いように思えます。

  • ジレンマ1: 「誰にでも出来る仕事」には、競争優位性が無い
  • ジレンマ2: 仕事をマニュアル化して「誰にでも出来る仕事」にする仕事は、誰にでも出来ることではない
  • ジレンマ3: マニュアルでは伝達できない事がある

ジレンマ1: 「誰にでも出来る仕事」には、競争優位性が無い

誰にでも出来る仕事というのは、競争優位性がありません。

企業というのは、他社が出来ないことをすることによって競争優位性を保ち、利益を上げることが出来るという構造を持ちます。逆に言うと、他社との差別化が出来ない企業は、馬群に埋没し、レッドオーシャンをさまようわけです。自社の競争優位性が保てず、利益率が低いことを社員をサービス残業させて得たやすい労働力で賄おうとします。

更には、新入社員たちの昇給を限り無く低く抑え、低給・長時間労働によってのみ、他社との差別化をはかり、なんとか生き延びているわけです。

少し、日本の労働環境がブラック化してきた原因が見えてきた気がしますね。

ジレンマ2: 仕事をマニュアル化して「誰にでも出来る仕事」にする仕事は、誰にでも出来ることではない

属人性を排するためには、仕事のマニュアル化*1が欠かせませんが、「仕事のマニュアル化」をする仕事は誰がやるのでしょうか?

優れた仕事を行うことと、仕事をマニュアル化することは、同じ仕事ではありません。マニュアル化の仕事は「仕事に対しての仕事」という、一段階高度なスキルが要求され、必要となる適性も変わってきます。

優れた仕事をする人が、優れたマニュアルを作成できるとは限りませんが、優れた仕事が出来ない人が優れた仕事のマニュアルを書くことは、もっと難しいでしょう。とすると、優れたマニュアルを書ける人は、ごく一部の限られた人ということになります。

ツイッターでもこのように呟きましたが、「実際の仕事 < マニュアル作成」という関係性がある以上、マニュアル作成できる仕事の範囲は、実際に出来る仕事の範囲よりも小さくなります。

過度にマニュアル化に傾倒することで、実際に発揮できるはずの能力よりも低いアウトプットしか出なくなるという現象がおきます。安易に「仕事はすべて手順をドキュメント化すること」みたいなルールを適用すれば、従業員たちは「マニュアル化可能な仕事」しかしなくなります。そうすると、従業員たちの能力は、本来持っているポテンシャルの8割とか半分ぐらいしか発揮できないという状況に陥るでしょう。

ジレンマ3: マニュアルでは伝達できない事がある

そしてもう一つ、せっかく従業員の持っているポテンシャルを落としてまで手に入れたマニュアル類ですが、文章や図表では伝達できないものがあります。

事細かに文章を書けば、全てが伝えられるのであれば、誰でもリオネル・メッシになれますし、世界中のサッカーチームは、すべてFCバルセロナかレアル・マドリードの好きな方になれます(その他のチームが良ければ、どんなチームにだってなれますよ?なれませんけど)。もう少し地味な例で言えば、誰でもテトリスでLv99をクリアできるようになるし、毎月の売上目標だって達成できます。

こんな風に呟きましたが、知識や知恵以外にも、手先の器用さであるとか、表情や受け答え、お客様との交渉術など、マニュアルに書けば、伝わるようなものでは無いです。

文章というのは、様々な事を伝えるのに非常に便利な人類の偉大なる発明ですが、万能ではないのです。

先輩が後輩に伝えなければならないことの中で、文章が占める割合は、ほんの少しでしかありません(ゼロでな無いですよ)。

文章というのは、書かれた瞬間から陳腐化し、状況は日々新しくなっていきます。本当に伝えなければいけないことは、新しい状況に出くわしたときにもうまく乗り越えられる対応力だったりします。そしてそれは、一人ひとりが経験の中で培っていくしか無いものかもしれません。

昔の職人さんが「見て盗め」と言ったのは、今、目の前にある困難を解決する方法を教えても、結局は次の困難に躓くだけだということを知っていたのだと思います。本当に必要なのは、困難を解決する力なので、それは自分の頭で考えることでしか得られないものです。

そんなこと言ったって、その人が辞めてしまったらどうするの?

もちろん、「世界でその人しかできない仕事」を持った人が辞めてしまうリスクというのは必ずあります。

そのリスクへの対応が、属人性を排してデフレスパイラルに陥るか、待遇を改善したり会社のビジョンを魅力あるものにして、優秀な人材を惹きつけ引き留めようとするかの違いになって現れているのだと思います。

そして、どちらが正しかったかは、すでに歴史が証明を終えようとしているのではないでしょうか。

それでも、重要なキーマンが辞めてしまったら、その時はその事業を止めてしまったら良いんじゃないでしょうかね。

仕方がないでしょ。世界は人の形をして変化していくものなので、人がいなけれは、その人のいない形で変化するしか無いです。

World

*1:などの属人性を排する試み。マニュアル化以外にも育成プランや自動化など属人性を排するための作業を含みますが、簡略化するためここでは「マニュアル化」と呼びます