こんな増田が話題ですね。
ちょっと前に、死の受け入れについて書いたのですが、関連して僕が死について考えるきっかけになった出来事について書きたいと思います。
銀河宇宙オデッセイ
ある時、NHKで銀河宇宙オデッセイという番組を放送していました(Wikiによると1990年)。
この番組は、当時最新とされる宇宙科学を元に、遠い未来の宇宙船が旅をしているという設定で、一つ一つの理論を解説していくという内容でした。
既に大分時間が経っていますが、今でも十分通用するような内容の番組だったと記憶しています*1。
1990年放送なので、当時13~14歳。
中二病全開時代の僕に、非常に克明に記憶を残しました。
科学的に見た宇宙の姿も勿論ですが、130億年以上昔にビッグバンによって宇宙が現れ、広大な範囲に広がる宇宙が形作られるというスケール感や、ビッグバン開始前の世界がとうなっていたかについての予想(というか想像)、宇宙の果ての先、そして宇宙の死について語られることにより、別の感情も沸き起こりました。
それまで、ぼんやりと死であるとか永遠について考えることはあったかもしれないですが、それが突然、物理現象として、厳密な正確さをもって、鼻先につきつけられたのです。
この時の驚きと恐怖は、26年経った今、こうしてブログを書いていても鮮明に思い出されます。
僕が、「無限」や「永遠」について意識するきっかけになった出来事です。
言葉では言い表しにくいのですが、生ゴムでできた消しゴムを奥歯で思いっきり噛み潰したような、苦虫とも砂とも違った何とも言えない味わいのある感情です。
この時から、僕は死と永遠について、時折思い起こしては、暗い海の中で、ひときわ冷たい海流に足先が触れたときのように、うっかり暗い深淵を覗いたような気持ちになり、すぐに心の手を引っ込めてブルブルと震えるようになります。
余談ですが、このブログのタイトルが「セカイノカタチ」という名前なのも、死と永遠を探求するために、セカイノカタチをつまびらかにすることがどうしても必要だからです。
宇宙、神、物理現象としての死
銀河宇宙オデッセイという番組は、僕の人生に多大なる影響を与えています。
世界をモデル化するときには、宇宙規模での整合性を意識する必要があります。
もし、神がいるとすれば、この宇宙の外側の存在でしょう。
集合論によって、対象となる集合では表せない集合が必ず存在するというパラドックスが証明されています。
神というのは、おそらくこの宇宙の森羅万象を収めた集合には含まれておらず、集合のパラドックスを超えた存在なのでしょう。それこそ、人智を超えた存在であることの証となりますから。
そして、僕ら人間の生と死というのは、この宇宙の系の中にあります。
何とかして死後の世界についてモデル化できないかと、何度も試みたのですが、無理だということがわかりました。
我々が厳密な物理現象の中で存在している以上、精神世界というものは幻想に過ぎません。
また、意識が永遠に続くと仮定しても、何の解決にもならないのです。そのことは、最初に挙げたブログに書きました。
残念ながら、我々は短い寿命を持ち消えゆく定めの存在なのです。
死の恐怖、生きる意味
死の恐怖や永遠の恐怖に立ち向かうためにはどうしたら良いのでしょうか?
人それぞれだと思いますが、僕の場合は、なるべく整合性のある世界のモデルを構築することです。
そして、その中での自分を客観視し、死と自分の存在を普遍的事実として受け入れることです。
死を見つめることで、死の恐怖は去りませんが、死の存在に慣れることが出来ます。
当然ですが、みんな死にます。
死から逃れるのではなく、客観的な世界の一部として死を意識することで、生が輝いて見えるようになります。
輝ける有限の生を残された僅かな時間を少しでも良く生きる意識を強くすることが出来るのだと思います。
良い人生を生きる。つまり、永遠の淵で一瞬のキラメキを生きる意味があるのだと確信するためにはどうすれば良いでしょうか?
人間には、群れで生きる本能があります。その本能のあるがままに任せるのが、一番楽ちんに生きる意味を見出す方法だと思います。
他者に貢献すること、そして他者から信頼され感謝されることに喜びを見出すのは、本能の成せる技です。
この本能にしたがって、誰でも良いから周りの人に良いことをし、周りの人の良いことを最大限に賞賛することです。
答えはシンプルです。
つまり、死を意識し生を慈しみ、自己の人生を輝いた良い物にするために全力で他者に価値や承認を与えるというロジックです。
この考え方は、色々な宗教や自己啓発書の根源となるイデア的な思想とも上手く合致するはずです。
銀河宇宙オデッセイから、26年経ちました。
今のところ、僕が辿り着いたセカイノカタチです。
*1:この番組が、今の最新理論にアップデートされてリメイクされる事を心密かに願っています