セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

「正しい」ことを言おうとすると何も言えなくなる

「正しい」ことを言おうとすると何も言えなくなります。

何故なら、「正しい」ことなんてこの世に存在しないからです。そのため、情報を発信すると、必然的に正しくない内容を含むことになります。

完全に正しくあろうとするのであれば、「何も発信しない」しか方法がなく、それが正しいやり方ですが、流石に何も情報を発しないのでは日常生活に支障をきたしますので、何らかのリスクを負ってコミュニケーションを行うわけです。

自己言及的ではありますが、この文章も間違っています。

正確に言うと(つまり間違いをただすと)、正しいことが存在しないのではなく、正しさの定義ができないのです。何が正しいのかわからないのに正しいも正しくないも判断できません(なぜ正しさの定義ができないのか。については今回割愛します)。

正義や正しさを主張するということは、必然的に「正しくない」ことを証明することになるわけです。逆説的ですね。

「何も発信することができない」と主張するだけでは、何の役にも立たないので、正しくないというリスクを冒してでも発言しなければいけないのであれば、何を基準に情報を発信すればよいのか?について考えてみます。

それは、自分が世界にどんな影響を与えたいのか考えて、良い影響を与えると信じることを行うとよいと思います。

どうせ間違っているのであれば、自分自身が信じられる「良いこと」を発信するしかないのです。そして、それはどうせ間違っていますが、世界や誰かに対して何かしらの影響を残すことになります。その影響が、良い方向に働くのか悪い方向に働くのかはわかりませんが、だからといってわざわざ悪いと思えるようなことをする必要はないので、良いことをしていく方が、お得です。

そもそも、「影響」というのは世界において本質的な事柄です。私たちの世界には、「意見と影響」しかないのです。

何らかの意見があり、それはどう頑張っても正しくなくて、だけど良くも悪くも誰かに影響を与えてセカイノカタチを変えていきます。

世界はたったこれだけの仕組みでできており、ほかに本質的な事柄は何もありません。

恐れずに、良い影響をあたえてください。