あなたの夢はなんですか?
この質問に答えられる人は、実は、そんなに多くありません。ほとんどいないと言っても良いくらいです。
夢を見ることや夢をかなえるために努力するというのは、自分の人生をどう生きるのか?という疑問に対しての取り組み方の問題です。
大きな夢を描き、それをかなえるために生きるというのは、「大きな人生」を生きるということです。
おそらく夢を追いかける人にとって「かなう・かなわない」は問題ではなく、放っておいても勝手に走り出してしまいます。
「夢を追いかける人の中には、夢をかなえる人がいる(かなわない人もいる)」というのは、結果論でしかなく、そんなに重要な事ではないのです。
それよりも「人生をどのぐらいの大きさで生きるのか?」ということのほうが、ずっとずっと大事です。
もちろん、残念ながら才能や努力や運が足りずに失敗してしまう人もいると思います。
これは、誰が見てもわかりやすいリスクです。
「わざわざ冒さなくても良い危険」と捉えることもできるでしょう。
小さな人生という選択
見えてる地雷を避け、安全安定を求めて「小さな人生」を指向する人もいます。
危険が伴う選択肢を避け、恥が伴う選択肢を避け、後悔や懺悔を避け、なるべく安定的で堅実な人生を選ぶ生き方です。
多くの人に影響をあたえることを好まないとか、自由や権力よりも心の平安や生活の安定を好む人も多いはずです。
積極的に失敗の危険のある選択肢を選ばなければ、自動的に目に見える危険は少なくなりますし、公務員の様な長く安定した職業に就けば、危機はだいぶ遠ざかったかに見えます。
大小どちらの人生も、強く指向する人もいれば、中間に位置する人もいます。同じ人でも時と場合によって選択肢は千差万別なわけですから、人それぞれです。
ですが、リスクを冒すことのデメリットを過大評価し、安全に生きることのデメリットを過小評価することで、「人生の大切な時間を無為に過ごす」ということも勿体無いことです。
小さな人生のリスク
小さな人生には、本当に危険が少ないのでしょうか?
チャレンジしていれば成功したかもしれないチャンスを棒に振るリスクはどうでしょうか?
機会損失のリスクです。
また、選択肢ないことによる選択肢の喪失というリスクもあります。
色々な問題は、時間が解決してくれるものですが、「時間」は、問題解決に支払う対価としては一番高価なものです。
一度きりの人生において、喪失した機会は二度と取り戻せません。
危険と後悔を避け続けた結果、生活の安定を脅かされ、後悔の念に覆われて生きることになることに僕は恐怖します。
チャレンジに失敗したことによるリスクは、本当にそんなに大きいのでしょうか?
僕の周りでどんどん挑戦している人は、失敗したときのダメージが「それほどでもない」ことを知っています。
主体性を持たず、流されて追い込まれた結果の失敗と違い、自ら考え、選択してチャレンジした結果の失敗というのは、案外ダメージが少ないものです。
失敗によるダメージは、失敗そのものよりも、「失敗するかもしれない」と気に病むことのほうが、ずっと大きな負担になります。
特に「失敗し慣れて」いない人にとっては、世界が終わってしまうかのような恐怖に思えるかもしれません。
しかし、実際に失敗してみると思ったような災禍は起こらず、起こってもずっと小さな損失で済んでしまいます。
ダメージなんて気にする必要はなかったのです。
失敗によるメリットの評価
選択しなかった場合と違うのは、自らの選択によってもたらされた失敗からは、多くの経験と学びを得ることが出来るということです。
ひょっとしたら、その失敗は世界中であなただけがチャレンジし、あなただけが失敗の経験を持つことになるのかもしれません。
あなただけの「挑戦と失敗」を繰り返していけば、その分野で失敗しているのは自分だけということになります。そうこうしているうちに、万が一(?)成功してしまった場合、もはやあなたに追いつける人は誰もいなくなるでしょう。
失敗のリスクの少なさを知っている人は、どんどん挑戦します。
失敗のメリットの大きさを知っている人は、どんどん挑戦します。
「失敗を恐れず挑戦しよう」なんて言う気はありません(ちょっとあるけど)。誰だって失敗は怖いものですし、小さな人生を指向するのも遺伝子の成せる技です。
しかし、過度に失敗を過少評価していたり、安全を過大評価するのであれば、それはそれでそれなりに危険をともないます。
自分が乗っている人生は、「大きな人生」なのか「小さな人生」なのか。
自ら積極的に選んで乗っているのか、消極的に選択されたものなのか。
選択によって人生は、大きく変わります。
選択することが大切なのです。