セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

昔、知恵と知力が分かれているゲームがあった

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昔、ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ(D&D)というゲームがありまして(今もあるんですが)、どんなゲームかというと、ボードゲームのように卓上を囲い、プレイヤーと司会者(ゲームマスター: GM)が会話をしながら、各自が役になり切って、モンスターを倒しながら冒険を楽しむゲームでして、ドラゴンクエスト(ドラクエ)などのコンピュータによるロールプレイングゲーム(RPG)は、このテーブルトーク形式のRPGを源流としています。とりわけ、D&DはTRPGの草分け的存在として古くから親しまれていて、自分も中学生の頃に友達に誘われて遊び始めるとたちまちハマってしまい、毎日のように友人宅に集まっては「あーでもない、こーでもない」と会話をしながら(時には喧嘩をしながら)遊んでいました。

D&Dというゲームは、ドラクエのようにキャラクターに様々な能力値があるのですが、その中でも異彩を放っているのが「知力(インテリジェンス:Intelligence)」と「知恵(ウィズダム: Wisdom)」です。ドラクエだと「かしこさ」にまとめられてしまう「知性」に関する値が二つに分かれているのです。初めてプレイしたころ、子供心に不思議に思ったことを覚えていますが、ゲーム中では、知力は言語やスキルの習得に重要な意味を持っており、知恵は魔法への耐性に重要という役割が与えれていたこともあり、割と素直に受け入れられたように思えます。

何より重要なのは、そもそも「頭の出来」というものが、一元的な数値で表すのもではないという可能性を提示したことで、それから、30年ほどの時を経て現代に至るわけですが、その間、この「知恵と知力」の違いというのは、自分の中で反復的に登場し、思い返されるような事例にしばしば出くわすため、割と確固たる観念として定着しています。

知恵とは

ゲーム中では、頭の回転の速さや本質を見抜く力を表しており、この値が高ければ魔法の攻撃などに対して耐性が付きます。現実世界でも、本質を見通す力、問題の根っこを抑える力、物事の成り立ちについてよく理解する力というのは、人によってばらつきがあるように見えます。ツボを押さえるのが得意だったり、勘が働いたりして、要領よく生きる力ということかもしれません。

知力とは

一般的に知性をさす場合、こちらの値を述べていることが多いかもしれません。記憶力であったり、計算力であったり、知能の高さに直結するような能力です。この能力が高い人は、試験で良い点を取ることができたり、知的で教養溢れる話しぶりで回りに一目置かれているかもしれません。

プロットしてみるといいかもしれない

知恵と知力という特製の違う2つの値を持つとすると、色々な人の行動や言動が思い浮かぶのではないかと思います。2次元軸の散布図にプロットしてみると、なにやら面白いものが見えてくるかと思います。

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イメージです

人の知性に関することですので、具体的な例を挙げるのは控えたいと思います。このチャートはイメージ図です。^^;

多分正規分布している

以前のブログにも書きましたが、こういう値というのは、中央が山盛りで、そこからなだらかに正規分布しているのだと思います。IQや学力なんかも偏差値で表しますが、これは値のバラツキが正規分布しているため、この形式が便利だからです。

どこかに閾値があって「こっから馬鹿」とか「こっから天才」のようなわかりやすい分布はしていないのだと思います。

qtamaki.hatenablog.com

評価軸は無数にある

自分の中では、「知性は1軸ではない」ということは、目からうろこの落ちるような驚きの体験だったのですが、よく考えると人の知性というのは複雑なものです。一つの軸で測れないのなら、二つの軸でも測れるのもでもありません。きっといくつもの観点から色々な能力の値を評価することができるのだと思います。

更には、最大値が大きい方が良いのか、平均値が大きい方が良いのか、ふり幅が大きい方が良いのか、評価の組み合わせも無数にありそうです。

そういう意味では、人の知性の評価というのは、一概に言えるようなことは何もなく、状況や目的によって如何様にも変化するものだと思います。

ということで、

みんな違って、みんな良い。

ありがちな結論ですいません。

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