上の増田へのリアクションです。
フィクションは、現実よりも現実に縛られる部分があります。それは、物語の文脈からして突拍子もないことや、確率的に起こりえないこと、読者の興味をそぐようなことを起こすことが出来ないという制約を受けているからです。
フィクションは、物語であるので現実ではありません。ですが、観客を物語に没入させるためには、物語の文脈から想像される舞台装置には、可能なかぎりのリアリティにが求められるのです。
舞台装置は、「ちょうどピッタリの分量で」物語に現れ、特定の役割を果たして消えていきます。多すぎても少なすぎてもいけません。不自然であってもダメです。
しかし、物語である以上、現実世界に何か異質なものを埋め込むことになりますので、必然的に無矛盾というわけには行きません。どこかに必ず歪みが発生します。
これは物語が持つ宿命です。
この不自然さが気になる人は、フィクションというジャンルが向いていないのかもしれません。
僕は、どうしても気になってしまうタイプなので、物語を読んだり觀たりすることがほとんどありません。
普段は、ドキュメンタリーやノンフィクション、特定のスポーツ(主にサッカー)しか觀ないし読まないのですが、良い作品だと、フィクションと現実とのバランスを良く取って作られているので、なんとか最後まで見ることが出来ます。
たまにそんな作品がやっていると観に行くのですが、シン・ゴジラは、楽しく観ることが出来たので良い作品なんだと思います。
もちろん、シン・ゴジラに違和感を覚える人もいると思いますが、個人の知識分野によっても、不気味の谷の出現ポイントは変わってくると思いますので、全ての人を満足させるような作品を作るというのは不可能でしょう。
作品というのは、批判を物ともせず、自分のエゴを出しきることなんだと思います。
どうやったって、批判を免れるすべはありませんので。
その点で、有名なクリエイターというのは、タフな精神力を持っていますよね。
誰かに批判されたからといって、やり方を変えるようだったら、クリエイターとしては生きていけないのだと思います。