ソニー、サンヨー、シャープ、松下、東芝、
ブラック企業、過労、鬱、先進国で最も低い生産性、
少子高齢化、待機児童、地方創生、一億総活躍時代、
年金問題、財政問題、憲法改正。
日本は、「世界で最も成功した社会主義国」と言われることがあります(ありました)。
分厚い社会保障を好み、集団の中で庇護されることを好み、生産性よりも画一性を好み、自由は誰かがくれるもの、もしくは、生来の権利として誰もが平等に生まれ持つものと信じて疑わず、隣の振り見て我が振り直し、同調圧力の中で、自由恋愛、職業選択の自由、言論の自由、移動の自由、自由という名のニンジンに満足して、幸せとは全体の中に個を埋没させることと自分たちに言い聞かせてきた国民によって、素晴らしくうまく運営されてきた社会システムです。
戦70年に渡り、抜群に良好なパフォーマンスを発揮し、諸外国を尻目に奇跡の経済成長と様々なイノベーションを巻き起こしてきた謎のイデオロギーは、その役目を終えようとしています。
どんな社会システムでも、いつかは崩壊します。
日本では、見た目上、自由主義で資本主義でありながら、社会と国民の性向によって、実質的に社会主義的な機能を持つ国家運営がなされてきました。
その中心には、会社中心の生活スタイルや価値観を生み出す、新卒採用制度や年功序列制度、正社員の雇用保護政策があります。
そしてイノベーションや責任よりも画一性や協調性、忍耐や努力を強いる洗脳行為は、学校教育から始まり、新卒研修による大学生活の否定、定年退職に至るまで綿密に組み込まれており、社会に深く根ざしています。
この根本的な、日本を日本たらしめている日本的な社会の仕組みが、世界情勢や経済のグローバル化、機械電気電子産業のコモディティ化などの変化に伴い、根本的に通用しなくなってきていることが、現在日本が抱えている様々な社会問題の根底にあります。
数年前に、SNSの普及によってイスラム諸国に自由の革命が連鎖した「アラブの春」という現象がありました。(結果の善し悪しは別として)それと同じことが日本にも起こっているのです。
様々な、メディアや政府や企業団体によって社会を覆っていた嘘に人々が気づき始めた事により、前出の社会制度への忠誠心や求心力が急速に失われていることを感じます。
みんな、現在の社会制度が間違っているのじゃないか?と思い始めているのです。
間違っているかどうかは一概にはいえませんが、問題がないかというと、様々な問題があるわけです。
この問題を解決するためには、小手先の対策では恐らく無理でしょう。なぜならば、現在の問題が日本の社会制度と国民一人一人の意思が集合した国体の問題であるからです。
それに、現在の社会システムだって、完全に悪いわけではありません。
完全に自由な制度であれば、「生産しなければ解雇」であるべきです。結果に対する責任こそが真の自由裏付けとしては不可欠なものです。
日本では、「結果が出なくても残業していれば許される」というルールで運用されてきました。これは、時間を売り渡す代わりに居場所を得る行為です。
残業を減らし、労働環境を改善するためには、会社の業績が良好であることが大前提であり、「結果を出して帰る」という自由と責任をセットで行使する勇気と実力が必要です。
それを良しとせず、落ちこぼれもエースも同等に扱うのであれば、残業によって生産性の低さをカバーし、カバーしきれなくても「終電までいてもできないならしょうがない」という最低な理由の許しを得るという社会システムに傾けるより他になく、それは、現在の日本の現状です。
ソビエト連邦が崩壊したのは、労働者の生産性が著しく低かったことも大きな要因だと思いますが、今の日本でも同様の現象が起こっています。
皆を(生産性に対してではなく時間的に)平等に扱うシステムは、どうやったって生産性の低下とモラルの低下を引き起こします。
今のぬるま湯の労働環境を手放さない限り、社会制度を変革することは不可能です。
あまりに多くの人が、あまりに長い期間、ぬるま湯に浸りきってしまいました。
このまま干からびて死を迎えるか、国家崩壊レベルの大きなショックがなければ、制度改革というのも難しいでしょうが、冷蔵庫の中の野菜が萎びていくのを座して観るより他にないような無力感を感じます。