- 作者: 魚川祐司
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/10/16
- メディア: Kindle版
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さて、この本は、有り体に言えば、仏教(特に初期仏教)の基本構造について述べてる本で、開教当初の仏教がどのような構造をしているのか、順を追って分かりやすく解説している本です。
今年の2月ぐらいに買って一度読んでいたのですが、感想文を書くためにもう一度読み直してみました。
仏教の基本構造は非常にシンプルで、私たちを苦しめているのは「苦」と呼ばれるもので、それを「滅苦」すれば至上の楽に至るという理屈です。
問題は、この「苦」や「滅苦」の考え方を紐解いていくと、非常に逆説的な教理が顔を出し、分解すればするほど不思議な訳のわからない世界に突入するという点です。
仏教の構造については、僕も分かる範囲で時折このブログに書いていますが、これほど網羅的に体系立てて書かれているというのは驚嘆に値します。それが、この厚さの一冊の本にまとまっているというのは、ちょっとした奇跡かもしれません。
それが故に、内容は非常に濃いです。感想文を書くに当たり要約しようと思ったのですが、本書をこれ以上圧縮することは正確さを欠き、本質を外れることになりそうで無理でした。
最初の章でいきなり日本的な(大乗仏教的な)仏教観はバラバラに破壊され、ゼロからのスタートになります。それからは、めくるめく反直感的な逆説の世界をぐるぐると目を回しながら旅することになります。僕は幾つか初期仏教の本を読んでいましたので(同じ魚川氏の著書も)、ある程度心の準備ができていましたが、初めてだと面食らうかもしれません。それでも、仏教用語については一つ一つ丁寧に説明がなされていきますので、「専門用語でチンプンカンプン」ということにはならないと思います。
仏教思想のゼロポイントとは何なのか?については、第6章で語られますが、それまで順を追って展開された仏教の基本構造とブッダの思想が集約されていき一点に収まります。その手腕は見事としか言いようがなく、今回読み返してみても、本書のクライマックスといえるでしょう。
その後に続く慈悲の章は、それまでの章に引けを取らず難解です。全ての執着を離れたはずの解脱者が慈悲を実践することの解釈について語られますが、仏教について考える時、智慧と慈悲の関係というのは、非常にセンシティブな話題だと思います。何回も読み返しながら進めたため非常に時間がかかりました。
ここまで読み進めると、後は仏教の歴史の話と最後のまとめを残すのみとなります。
どこか別の場所で「本書を読んだ大乗仏教の関係者に怒られた」と書いてあった気がしますが、わかるような気がします。初期仏教の文脈から解釈すると、大乗仏教というのは理解しがたい存在です。逆説の逆を行くので順説となるのですが、逆説からその逆を理解するのは、順説から逆説を理解するよりも更に難しくなります。
僕の感覚では、大乗仏教は仏教の本質的な真理あるところの現世涅槃をスポイルして無限遠の彼方に放り投げてしまっているあたりが、本末転倒という感じがします。とはいえ、ブッダが暗に対象外とした水面下の人たちに対して救済を与えるという意味では大きな意義があったことは間違いありません。本書にも書いてありましたが、大乗仏教のおかげで遥か彼方の日本にも仏教が伝来したことを考えると、私たちは感謝しなければならないのでしょう。
逆に言うと、本来の意味での仏教を理解できる人というのは、数が限られているのかもしれません(お釈迦様もそうおっしゃっていることですし)。
おわりに
ということで、読み返して書いた割には、支離滅裂な内容になりましたが、本書はとても面白い一冊です。そもそも仏教というものが、奥深く面白いものだと感じました。
僕の仏教を巡る冒険も、まだまだ続く!
・・・かもしれません。