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セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

マーブルワーズ

物語には理由が必要である

qtamaki.hatenablog.com

批判を浴びています。^^;

映画館でスマホを使用したこと、およびツイッター投稿したことに関しましては、完全に僕の落ち度で申し開きの余地もないので、今後二度としない(ちなみに過去にもしたことないです)ことを誓うとともに、反省します。不愉快な思いをさせてしまった方々には、お詫び申し上げます。

それで、くだんのブログ記事にご批判いただいた方の中には、「ツイッターすんな」派の人と「批評すんな」派の人がおられまして、「批評は好きにすればいいけどツイッターはすんな」派の方と、「どっちもすんな」派の方がおられます。ちなみに「ツイッターしてもいいけど批評はすんな」派の方はおられませんでした。

批評といえば、エスパー魔美のこれでしょう。

d.hatena.ne.jp

あまりに的を得すぎているため、これ以上のことは言えませんし、全面的に賛成です。

作品に対する批評に対する批評も同じく自由であるため、「作品←批評←批評←批評←批評・・・」という構造になるのは自然なことですし、この構造自体をまるっと「良い事」だと思っています。

そして、どれだけ批評チェーンが長くなったとしても、元となる作品がなければ存在しない連鎖である以上、「作品」だけが特別な存在であることには変わりありませんし、その点について、作品を作り公開するクリエイターという人々に、僕は最大限の尊敬と賞賛と嫉妬を捧げます。

表現者と言うのは、常に批判にさらされるリスクの中にあえて進み行き、自分の信じた価値と真摯に向き合う人々です。

僕みたいに、ちょっと批判されたからって、うじうじこうやってブログに言い訳じみた記事を書いているような人間とは、器が違いうということです。

僕は、クリエイターへのインタビューが好きで、彼らがどんなことを考えているのか、何を作品に込めているのか、興味を持って見ているのですが、その中で強く感じていることは、彼らが常に「理由」を探しているということです。

彼らはクリエイターインタビューやメイキング動画で、「なぜ、自分はこれが好きなのか?」「なぜ、ここにこのキャラクターを配置したのか?」「なぜ、この小道具は『赤』でなければならなかったのか?」など、それがそこにある「理由」を語ります。

そういうことを語る時のクリエイターたちは、常に生き生きとしているように感じます。

そして僕は、そういう彼らを眺めるのが好きなのです。

サッカーにフォーメーションがあり、将棋に囲いがあるように、物語には「理由」があります。

それは芸術が自由であるゆえに必要となり、外せない要素なのです。

逆に、ノンフィクションや事実を扱ったものならば、理由は必要ありません。それが事実であるという以外の理由はないからです。

ノンフィクションにとって事実が何故そうなっているかについての考察や検証は、大切な手続きとなりますが、それは僕がクリエイターインタビューから「理由」を探るのと同じで、物語の中の出来事ではなく、あくまで外側の話です。

僕の好きな言説に「物語の中で理由もなく降る雨はない。雨は必ず悲しい時に降るのだ」というものがあります。

初見でこれを見た時には「んなわけあるか。雨なんて降らせたい時に好きに降らせればいいじゃん」と思いました。が、そうではなかったのです。

物語が物語である以上、綿密にパズルのように組まれた理由の塊である必要があります。

将棋の定跡のように1手も余分な余地が無いようにギチギチに組まれています。

本来、ルールに従って自分の持ち手を好きなように動かしてよいはずの将棋ですが、実際には余分なんてものは一切なく、無駄なく敷き詰められたタイルのように最善手をお互いに指し合う中で、必然的に「囲い」のようなセオリーが生まれます。これは、将棋のルールの自由が生み出す必然なのです。

サッカーも同様です、あの広いフィールドの中を自由に動き回り、好きなところにボールを蹴って遊ぶスポーツですが、フィールドサイズや、人の大きさと移動スピード、サッカーボールのスピードなどの条件により、効率的はフォーメーションが組まれており、そのレパートリーはいくつもありません。

球際の攻防では、ボール1個分のスペースが勝敗を分かつことも多々あります。サッカーのフォーメーションと選手の動きも、自由であるが故の必然の1つです。

このように、世界には自由であるが故の必然で満ちており、そのステージが真剣勝負である程にシビアに抗い難く参加者を縛りつけます。

物語であれば、ギチギチに綿密に組み込まれた「理由」が大きな価値を持ち、必然として重くクリエイターたちにのしかかってくるのです。

先程の「雨」に関しても、物語の中で雨を降らせるからには、それなりに綿密な計算と覚悟を持って降らせる必要があります。

楽しいシーンに雨を降らせることは非常に難しく、より突き詰めた理由が必要になります。

例えば、結婚式とかお誕生日とか終戦とか夢が叶うとか、そういったシーンに雨を降らせることは「出来ない」のです*1

それ故に、物語から「理由」が感じられないシーンやセリフや舞台装置があったりすると、がっかりします。

プロの映画に「理由がない」ということは、もちろんありませんが、「理由が浅い」ことは、たまにあります。

例えば、キングコングのヘリコプターが全滅するシーンであれば、「島に取り残される」状況に邪魔だったから全滅させたのでしょう。

更に、冒頭にキングコングの登場シーンをド派手にすることで、感覚を「びっくりさせる」効果も狙ったんだと思います。

が、これは悪手でしょう。

理由は2つです。

まず、(これは聞いた話ですが)キングコングの映画では、キングコングを後半まで登場させないのがセオリーだそうです。

それは、キングコングという超巨大猿の気配や体の一部を見せることで、観客の期待を煽り、未知への恐怖を煽る効果が期待できるからです。

人間は、「未知なるものへの恐怖」を本能的に持っており、人間の想像力と言うのは、人それぞれ、その人にあった物語を勝手に紡ぎ始めます。

キングコングが登場してしまえば、それは観客全員の中で、共通のイメージとして固定してしまいます。

受け手の想像力というのは、物語にとっての最大の武器です。

映像として固定されてしまえば、それ以上の膨らみは望むべくもありませんが、想像と期待というものは、際限なく膨らんでいきます。

その「人間の想像力」という、最大の武器をみすみす手放すというのは、悪手以外の何物でもありません。

また、一連のキングコングファンに対して「お約束」を踏襲すると言うのは、最大級のご褒美になるはずだったのですが、それも手放してしまいました。

元記事にも書きましたが、この映画は「キングコング」への愛がある作品なのでしょうか?

「別のホラー映画にキングコングを被せた」疑惑が湧くのはこういった細かい点での杜撰さというのも一因となっています。

そして、もう一つの理由は、ヘリコプターの全滅があまりに不自然であることです。

ヘリコプターは、空を飛んでいますので、「未知の危機」と遭遇した場合の最善の対処は「飛ぶこと」です。ちょっと高度を上げれば、キングコングの跳躍では届かない地点に退避することができますし、一度体制を立て直すことができれば、巨大猿の一匹や二匹は物の数では無かったはずです。

これが、実戦経験の乏しい新兵や、平和ボケした日本の自衛隊であれば「不測の事態に対処できずにうっかり全滅」ということで説得力があったでしょうが、「歴戦のベトナム戦争の勇士」という理由付けをしてしまった以上、そことの矛盾が発生し「この人達本当に有能なの?」という疑問を観客に持たせてしまいます。

この矛盾が、物語の進行上どうしても必要なのであれば、勇気を持って進めるべきだと思いますが、ヘリコプターを調査船に返してからキングコングに襲わせるなど、ちょっと考えれば容易に回避できるほころびをあえて客に見せる必要があったのか?と、疑問に思います。

冷静に分析をすると、このタイミングで僕は「なめられた」と感じたんだと思います。

「この程度のほころび客は気づかない」とか「キングコングの迫力をバーン!と見せておけば納得だろ」みたいな打算とかあざとさ、浅はかさを感じてしまい、その感覚は意識の水面下にあったのですが、表面的には「失望」となって現れました。

「チャーハンを食べて不味かった中華屋は何を食べても不味い」の例えよろしく、このあとのシーンも基本的には、同様の打算が見え透いた作りとなっていて、どんどん失望は深まり、怒りに変わり、最後はホームチームが7失点した時の試合を観戦しているような、失笑に変わりました。

「全体がベニヤ板で出来ているよう」と表現したのは、このペラペラ感を表すのに他に良い例えが見つからなかったからです。

「物語を批判するのはクリエイターへのリスペクトが足りない」という見方をすることも自由です。

しかし、このような作品づくり自体が、必死に「理由」を探し、パズルのように綿密に組み立てることで作品づくりを行っている他のクリエイターや、作品を楽しみに観に来てくれる観客へのリスペクトを欠くものなのではないかという思いが拭えません。

僕は、今までも色々な作品を観て、同様の失望や怒りを感じることがあったのですが、今回この文章を書いていて、こういう「理由」があったんだなと、我が事ながら発見することができました。

今回の件は、色々と勉強になりました。

ありがとうございました。

*1:反例はもちろんありますが、それをひっくり返すだけの理由が必ずあります(「ショーシャンクの空に」の脱獄シーンなど