セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

私達は、世界の物語性に強く惹かれる生き物だ

世界は物語に満ちている!人生は筋書きのないドラマだ!

今回のエントリーで扱う「物語」という言葉は、物事が連続して起こったときにそれらの間に関連性を見出し、一連の物語を形成することを指しています。典型的には、おとぎ話や小説などの一般的な意味での「物語」ですが、ここでは、もう少し意味を広くとって、物事の間に見出される関連性をすべて物語としています。

脳は物語を求める

私達の脳は、似たようなものを見ると、それらに関連性を見つけようとする性質があります。

一連の出来事の間に関連性を見つけ、その謎を解き明かそうとするのは、私達が本能的に持っている重要な性質です。

例えば、6個のリンゴを3人で分けた場合、一人2個ずつですが、それは6個のみかんでも、6台の車でも変わりません。「数」という性質に関連性を見出し、抽象化し、応用することで私達の生活は豊かになってきました。

リンゴの数のような単純な例だけにとどまらず、「努力したら報われる」とか、「9回の裏二死満塁」からの飛び切りのドラマを期待するのも、私達の脳の性質から来ています。

信仰や迷信も脳が物語を強く求めた結果ですし、科学的な検証作業も物語性の一環です。

信仰と科学はどちらも物語性に強く惹かれた結果であることには変わりないですが、その発露の仕方においては、両者に大きな違いがあります。

科学的なアプローチにおいては、自らの持つ物語と現実世界とを近づけることに大きな関心があります。かたや、宗教においては、物語が現実世界と合致していることにはさほど関心がなく、人の心の形との適合性に重きが置かれます。

これは、アプローチの仕方や指向性の違いであって、両者の間の優劣を決める問題ではありません。

そして、例としては科学と宗教を持ち出しましたが、こういったたぐいの脳の性質の違いというのは、本質的な人の行動原理を規定するものらしく、様々な面でイデオロギーやポリシーの違いとして現れます。

違いというのはつまり、「人の心のままに理解することを好むのか」のか、「直感に反してでも自然界の法則や未来に起こる出来事への適合性を好むのか」という性向の違いで、極端に白黒分けられるものではなくて、白に近い人、黒に近い人、グレーな人、まだらな人と様々です。おそらく、ほとんどの人は真ん中のグレーゾーンに属していて、両方の端では数が少なくなっていくという、なだらかに正規分布するのではないかと思います。

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正規分布の様子

僕は、自分自身は後者だと思っています。こんなタイトルのブログを書いているぐらいですので、セカイノカタチをより正確にくり抜くことに強く惹かれる性向をもっています。

なので、正直に話せば、本能的な心情としては、人間性を重視するタイプの人々のことを苦苦しく思いますが、排除すべき敵と考えているわけではありません。様々な遺伝子の多様性の発露として捉えると、善悪や良し悪しの問題ではないという感想を持っており、世界を形作る自然法則の一部として大変重要で興味深い特性の一つだと思います。

すべての人は、良くも悪くも、どんなときにも何らかの形で物語に囚われており、(自分にとって)良い言動であっても悪い言動であっても、その裏には必ず物語があります。

僕は、その人が強く信奉している「何か」について考えるとき「神を見ている」という言い方をするのですが、例えばヘビメタ好きなら「この人はヘビメタに神を見ているんだな」というような使い方をします。

世界を大きく「人情派」と「理論派」に分けるのだとすれば、人情派は人情に神を見ているし、理論派は理論に神を見ます。

理論派には、人情派は短略的で感情的に見えますし、人情派からは理論派は、直感的でない物言いをして理屈っぽく感じます(と思いますが、自分ではわからないので定かではありません)。

近年は、SNSの発展に伴い両者の意見の食い違いが衝突して、あちこちで論争を巻き起こしているように見えますが、単にいがみ合うのではなく(論争は大いに結構だと思いますが)、自分たちの認知を推し進め、人類発展の契機として捉えると良いんじゃないかと思います。

テクノロジーによって、人類の交流は推し進められ、様々な人々の物語が読めるようになったということなのだと思います。

それらの物語は、どれが正しくてどれが間違っているなんていう単純な物差しで測ることはできなくて、「沢山の正義がひしめき合っている」というのが正しい世界のあり方だということを私達は知ることができるようになったのです。

新しい世界の尺度と秩序は、複雑で推し量るのが大変ですが、「認知が進む」というのはそういうことなんじゃないかと思います。

Fairy's toadstool