- 作者: 新井俊一
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2016/07/21
- メディア: 単行本
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親鸞『西方指南抄』を読みました。
我が家のお墓は浄土真宗大谷派です。浄土真宗の開祖は親鸞聖人で、師匠である法然上人の開いた浄土宗の教えを広めるために尽力し、死後弟子たちが浄土真宗として宗派を開いたそうです。
僕の名前には、「範」という字が使われているのですが、父親が言うには、親鸞聖人の修業時代の名前「範宴」からとったそうです。「だいぶ恐れ多いところからとったな」とプレッシャーに感じています。^^;
そんな云われもあって、浄土真宗については、一度調べなければならないと思っており、なんとなく本屋で良さそうな本があったので手にとった次第です。
本書の序文によると、親鸞聖人の最晩年の大著で、元々は全三巻からなるそうです。内容としては、法然上人の問答、法語などを納めた本で、親鸞聖人は相当師匠愛の強いお方だったようです。
内容は残念
読んだ感想ですが、正直にいうと、大きく落胆する結果となりました。
内容としては、大量の専門用語と巨大数でまくしたて、読むもの(聞くもの)の頭をパニックに陥れる文章で、それがひたすら最後まで続きます。
一応全てに目を通しましたが、並び立てる固有名詞や巨大な数字、はるか未来や過去の出来事など、おそらく大乗仏教の世界観なのでしょうが、超常的な事柄を信じろといわれても困惑するばかりです。
また、すべての事柄は「伝聞」を主体としていて、「大変有難い経典に、これこれと書いてある」とか「偉いお坊さんの○○が言うには」など、権威主義によって自らの正当性を主張しているのですが、どんなに偉い人が言ったことでも、それが本質を捉えていないのであれば、意味のないことです。
教義としては、「一向専念」がメインで、「南無阿弥陀仏」の名号を一心に唱えることで浄土へ行くことができるというシンプルなものです。そして、なぜ一向専念で成仏できるのかについて、「これでもか」という情報飽和攻撃を行うわけです。
つまり、「一向専念」というシンプルな逃げ道を準備しておいて、その理由をまくしたてることで「わからなければ一向専念すればよい」と追い込み漁をかけるのが基本戦略で、浄土や極楽、地獄といった存在するやも知れないものに対して、もっともらしい権威をつけ、普通の人には追いきれない量の情報を用意することで、「なんだかわからないけど凄そうだ」とか「偉い人が言うことや偉い経典に書いてあることに間違いは無いだろう」というような、暗示をかけ、説得していきます。
信じることが宗教なのであれば、疑いなく信仰を促す舞台装置というのは、当然必要とされるものなのだと思いますが、何かを信じたいわけではないので、これらの文字の羅列に価値を見出すことはできませんでした。
大乗仏教の良いところ
と、ひとしきりディスり切っておいて言うのもなんですが、本書の中でも「これは」と思える一文がありました。
このように教えの内容が高すぎると、行者はついていけなくなる。たとえば強い弓のようなもので、最高の弓だとしても、少しも引き働かすことができない者は、弱い弓を楽に引いて射る者よりは劣っている。
まさに、浄土真宗の真価とはここにあるように思えます。
「難しいことはいいから、一向専念すればよいのだ」という教えは、仏教の教義としてはこれ以上なく敷居の低いものとなります。
多くの信者を獲得するためには、間口は大きいほうが良く、「一切衆生を救済する」という大願を実現するためにも都合が良くなります。
一方、ブッダの説いた初期仏教では、自身で修行して本質的な知見を体得しなければいけないという実践性が重んじられ、仏教の奥義であるとはいえ、広く信者を獲得するには、難解すぎます。
もし仏教が、ブッダの教えを忠実に守ろうとする一派のみであったならば、今ほどの広がりを見せることもなかったでしょうし、日本に伝来することもなかったのだと思います。
その点において、大乗仏教の果たした役割は大きく、世界へ与えた影響は言うまでもないことです。
更に、大乗仏教には良いところがあります。
「般若心経」です。
般若心経は、大乗仏教にあっても不思議なほどシンプルにストレートに仏教の核心を伝えています。そして仏教を信仰するものであれば、必ず般若心経に当たるようにできています。
般若心経に触れ、その意味するところを突き詰めていけば、無意味な固有名詞の羅列や地獄や浄土といった教義は色を失い、仏教の本質的な哲学が鮮やかに浮かび上がってくるはずです。
これは非常に素晴らしい構造だと思います。
入り口では信仰と権威による、宗教の色を強く示し、多くの信者を獲得する一方、盛大に飾り立てた伽藍の中心には、仏教の核となる真空が、ちゃんと備わっているのです。
この構造を狙って作り上げたのだとすれば、恐ろしいほどの智慧の持ち主だったんだろうと思います。
ということで、この本自体は読む価値があるのか甚だ疑問ではありますが、仏教というのは面白いなというのが感想となります。