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セカイノカタチ

世界のカタチを探求するブログ。関数型言語に興味があり、HaskellやScalaを勉強中。最近はカメラの話題も多め

マーブルワーズ

読書感想文「ADHDでよかった」を読んで

ADHDでよかった (新潮新書)

ADHDでよかった (新潮新書)

知り合いの書いた本が出版されましたので、応援の意味も込めてさっそく買って読んでみました。

ADHDというのは、Attention Deficit Hyperactivity Disorder の頭文字を取ったもので、日本語では注意欠陥・多動性障害と訳されまして、発達障害の一つに分類されます。

著者の立入さんは、自らADHDであることを公言しており、ADHDのネガティブな側面からくる様々な困難を克服し、逆に長所となる特徴を存分に活かすことで、パワフルに活躍している方です。

本書は、立入さんが、自らの経験と資料を元にADHDについての詳細な解説と、ADHDとして生きる上での"攻略法(?)"のようなものを伝授する内容となっています。

先週末に発売されたので、さっそく手にとって一気に読みました。

そして、いつも通り「鉄は熱いうちに打て」理論で、読書感想文を書きたいと思います(と言いつつ読み終わってから1週間ほど経過してしまった・・・)。

感想

面白かったです。そしてエキサイティング。

不勉強なもので、ADHDや多動性障害と言うものについて、名前は知っていても詳しくその特性や行動パターン、得意不得意分野について知らなかったのですが、本書の解説によって把握することが出来ました。

また、多くの苦労を背負い込むことになる多難な人生を思うと胸が痛くなります。

すべてADHDの人が、立入さんのように困難を克服できるわけではないと思いますし、周りの人も、僕のような不勉強な人間が心無い対応をしてしまうことも多いことと思います。

なるべく多くの人が、本書のような本に出会ってお互いに理解を深め合うきっかけになれば良いなと思いました。

ADHD・発達障害について

まず、僕は「発達障害」という呼称が嫌いです。

本書にもある通り、AHDH的な特徴を持つ人の中には「天才型」と呼ばれるような人が多くいます。

人間の身体的な特徴は、目に見えますが脳や心の特徴は目には見えません。

もし、人の脳の状況を精密に分析して蜘蛛の巣グラフとして表すことが出来るのであれば、彼らは偏った形のグラフを書き出すのだと思います。

自閉スペクトラム症の中にも多種多様なケースがあると思いますので、分類については専門家に口出しをする問題ではないと思いますが、「障害」であるかどうかの判断は慎重に行い、適切な名前をつける必要があるんじゃないかと思っています。

名前には、強大な力があります。

対象物の印象を決定し、名前の持つイメージの方向へ有無を言わさず引っ張り寄せる力があるのです。

彼らが不本意に分類され、障害者としてレッテルを貼られるようなことがあって、何らかの形で機会を損なうようなことがあれば、人類にとっても大きな損失となるでしょう。

その点について危惧し、不満に思っています。

個人的には、「超発達」とか「偏発達」とかの呼び方が良いんじゃないかな。と思います。

人の心のカタチ

人の心は、脳からきています。脳は、私達の体の一部です。

人の思考と脳、そして体は強く結びついています。

それは、体や脳の物理的な特徴に大きく左右され、遺伝的な特徴も大きく関係してくるのです。

そうしてみると、人の心の「性格、性向、人格」などの傾向も身体的な特徴の一つだと言えます。

ただ、身体的な特徴と違い心の特徴は目に見えないという点で扱いが困難です。

人は、目に見えない物を無いものとして扱うか、すべて同じだと同一視するか、酷く間違った捉え方をしてしまう生き物です。

僕は、ソフトウェアを扱っていますので、目に見えないものを上手に扱うことが出来ないということを身近に感じていますし、苦労したり、難しさを強く感じています。

ソフトウェアと人の心を同一視するのも何ですが、多くのケースで、ソフトウェアに伴う困難が、人の心の動きから来ており、ソフトウェアの困難さを包括しているのが、人間と人間社会の複雑さと不可視性だと確信していますので、それほどの不自然さは感じません。

もし、何らかの方法で人の心を目に見えるように表した場合、発達障害というのはどのようにみえるのでしょうか?

手が長いとか全く無いとか、目がよく見えるとか全く見えないとか、足がすごく早いとか力がすごく強いとか、生活をする上で障害となる特徴を有することもあれば、他の人にはない優れた点を持つこともあるのだと思います。

我々も含め、世界中のすべての人たちのこうした特徴を一堂に会した場合、人の心の多様性というのは、どれほどのものなのでしょうか。

重度の自閉症などの明らかに生活が困難そうなカタチをしている人もいれば、見た目で言えば普通に見える「私は健全だ」と思っている人達もいるでしょう。

そうした時に、それらの心のカタチには、障害と健常を分けるような閾値はあるのでしょうか?

また、「健全である」といったときの理想像のようなものは存在するのでしょうか?

精神世界における、イデアのようなものは存在するのでしょうか?

という問を投げかけた時に、僕は存在しないと思っています。

多様性というのは、芯が存在しない集団の総称です。

心の特徴というのは、恐らく身体の特徴を上回る多様性を示すのだと思いますが、様々なカタチや特性が存在することで、我々は種としての強さを担保しているのです。

そうした背景を考えるのであれば、我々は「心の多様性に対してどれだけ寛容になれるか」という点について考えなければならないのだと思います。