人は、そして人の心は、何から出来ているのでしょうか?
人をいうものは、独立して行動する複雑な生命体ですが、それを構成するものを全て挙げることは難しくはありません。
- 両親
- 母体(点滴、輸血、臓器移植)
- 食べ物・飲み物
- 代謝
- 五感(聴覚, 嗅覚, 味覚, 触覚, 視覚)
- 行動(筋肉を動かす)
- 意識・思考
まず、人には両親が存在します。死なない人間が存在しないように、生まれなかった人間も存在しません。これは抽象的な意味ではなく、物理的な意味で、必ず2つの遺伝子のそれぞれの片割れを貰う必要があるということです。
そして、母体によって育まれます。自分で食事をせずに外界からタンパク質などを摂り入れる事ができるのは、母体から養分を得るこの時しかありません(点滴とか輸血、臓器移植という可能性もあります)。
私たちは、ライフサイクルの殆どの期間を自分で食べ物を摂取することによってまかないます。食べ物のみのものは、味や匂いといった情報も運びますが、それそのものこそ重要なインプットです。
インプットとアウトプットはセットになりますので、代謝も私たちを構成する重要な要素です。汗や呼気や排泄は、私たちを自分でないものと分けます。今、この体に留まっている物質だけが自分自身だと認識しますが、逆説的には、排出された「かつて私たちだったもの」も自分自身ではないという意味で、私たちを定義しています。私たちの身体は、次々にやってくるタンパク質によってまんべんなく置き換えられ、骨も含めて2年ほどで入れ替わります。古くなった私たちの成分は失われ戻ってくることはありません。
そして、五感です。生まれてから死ぬまでの大部分を五感による刺激を受けて過ごします。私たちを構成するもののうちでも重要な位置を占めていることは間違いなさそうです。
感じることと行動することはセットになりますので、五感からの刺激を受けて行動すること、行動したことによる刺激のフィードバックは、切り離すこと無く連続して循環しています。この循環は死ぬまで続きますし、循環による経験が蓄積し、複雑に変化し続けます。
これらの経験やフィードバックを処理する機能として、意識が常に自身の体をコントロールしています。人は絶え間なく考え、そして死にます。
以上です。
言わずもがなですが、改めて考えても、たったこれだけです。
私たちを構成する要素は複雑に絡み合っているため、レパートリーは実質的に無限ですが、有限で捉えることができるシンプルな要素の組み合わせでしか無いのです。
このことは抗いがたい事実であり、セカイノカタチを正しく認識するためには、必要なこととなります。