一口に瞑想といっても種類がいっぱいありますので、ここではマインドフルネス瞑想やウィパッサナー瞑想のことを指して単に瞑想と呼びます。
通常、私たちは、自己との強い同一性を保っています。「自分は自分である」と認識していて、自分の体を自由に動かすことができて、自分の心で自由に考えることができると信じて疑いません*1。
ほとんどの人は、生まれてからずっとそうやって生きてきていますし、それで別段不便も感じていません。
瞑想とは、この状態から少しずつ、自分自身を引き離す(デタッチする)行為です。
自身の状態を子細に観察して、それが思ったより「自由にならない」と認識することで、自分自身に対して客観的になることができます。
客観的という言葉は、厳密には正確性を欠くのであまり使いたくないのですが、だいたいあっているので、ここでは客観的とします。厳密にいうと「自身を客観視する自分」とは誰なんだ?という問題があるため、真の意味での客観性を持つことはできませんが、「自分を客観視する自分」を客観視する自分」を客観視する自分」を客観視する・・・と無限に続けて行くことで疑似的な客観にたどり着くことができます。
つまり、瞑想とは、自分自身に対して客観的になり、冷静に観察することで、自分自身や世界との関係性をより深く、正確に把握しようとする試みなのです。
瞑想によって知らなければいけないことは、自分の体と心が、自分自身ではどうにもならないほどに制御不能なものだということです。制御不能であるにもかかわらず、そこから逃れることができないのです。これは、私たちが生きていくうえで根源的な苦しみの原因となっています。
瞑想により、ほんの束の間でも自分自身からデタッチすると、少し楽になります。
今まで、「自分=自分」の世界しかなかったものが、「自分≒自分」な世界を垣間見ることで、見える世界が広がるのです。
それは、世界が静かで、とても静かで、落ち着いた世界に落ちていくような体験です。
僕は、10分程度の瞑想を気が向いたときにしています。時間があって調子が良い時は、何回か繰り返します。その時は、呼吸瞑想と手動瞑想を交互に繰り返すようにしています。同じ瞑想だと飽きるので。^^;
瞑想から覚めると頭がすっきりします。それが一日持続します。睡眠も深くなり、寝覚めもいいです。
「私」をデタッチして見つめなおすことで、自分の中に非日常を体験する楽しさがあります。
*1:この同一性を失うと様々な障害が出て生きづらくなりますが今回は扱いません